いかなる調和も、いかなる思想も、いかなる愛や赦しも、要するに、古代から現代に至るまで賢人たちが考えついたもののうち、個々の人間の運命の無意味さや愚しさを弁明出来るものは何一つとしてない。
彼は子供について語るが、それはただ、それでなくても複雑な問題を「単純化」するためであり、より正確に言えば、議論の中で「罪」という言葉を巧みに弄ぶ相手の武器を奪うためである。
実際に、果してこの小さな拳で自分の胸を打つ子供が突然自分を「すべてのもの、すべての人々から鋏で切離したようだ」と感じたドストイェフスキー・ラスコーリニコフより恐しいであろうか?(3)
若干注釈が必要だろう。右の引用で直接に扱われているテーマは『カラマーゾフの兄弟』におけるイワンとアリョーシャの対話である。その対話で、イワンは、様々な児童虐待の実例を語っている。「小さな拳で自分の胸を打つ子供」とは、実の親に真冬の真っ暗で寒い便所に一晩中閉じ込められて、泣きながら神さまに祈った幼子の描写である。
イワンは、現世のすべての人々の苦しみ、特に子供たちの苦しみによって贖(あがな)われねばならない「永遠の調和」に異議を唱える。現実の人間社会においては、実の親によるものも含め、恐ろしい残忍な幼児虐待が日常茶飯事のように繰り返される。
大人の身に降りかかる不幸であれば、それは自身が犯した「罪」のせいであると言えるかもしれない。しかし、幼子になんの罪があるというのか? このような苦しみに対して、現世においてなんら救済がもたらされないのであれば、最後の瞬間に「永遠の調和」が人類に約束されているのだとしても、そんな神の王国への入場券など自分は即刻返上する、とイワンは宣言するのだ。
(1)ニコライ・ベルジャーエフ、斎藤栄治訳『ドストエフスキーの世界観』白水社 一九七八。ベルジャーエフ(一八七四―一九四八)は、ロシアの哲学者。キエフの貴族出身。ロシア革命後にパリに亡命した。
(2)レフ・シェストフ、近田友一訳『悲劇の哲学 ドストイェフスキーとニーチェ』現代思潮社 一九六八。シェストフ(一八六六―一九三八)は、ユダヤ系ロシア人の哲学者。キエフの豪商の出身。ベルジャーエフ同様、ロシア革命後にフランスに亡命した。
(3)同前