また、ベルジャーエフは、内在的な神的原理が「人間の良心を打つ」と述べるが、少なくとも「良心」の問題については、それがラスコーリニコフにおいて決着済みであったことは、すでに述べたとおりである。
レフ・シェストフ
シェストフは、ラスコーリニコフの苦悩のうちに、神的原理に限らず、あらゆる既成の価値や真理の否定を見る。そして、シェストフによれば、そのような苦悩を、ラスコーリニコフは作者のドストエフスキー自身と共有している。
ドストエフスキーが最初にこの苦悩を託したのが『地下室の手記』の主人公であった、とシェストフは『悲劇の哲学』で述べる。
『地下室の手記』、これは――生存の最高の目的は「最も下賤な人間」への奉仕であると自他に説いていながら、全生涯にわたって自分は嘘をつき、偽っていたのだということを突然確信した一人の男から響いた、胸をかきむしられるような恐怖の号泣である。(2)
ここでシェストフがいう「一人の男」とは、まぎれもなくドストエフスキー自身を指している。果たして、その「恐怖」とは何を意味するのだろうか?
その内容を端的に指し示している一節をもう一か所『悲劇の哲学』から引用しよう。前後の文脈から切り離して抜き出すことで、分かりにくい部分があることはご容赦いただきたい。
ドストイェフスキーは、とうとう、最後の言葉にまで言い及んだ。『地下室の手記』で多分の釈明と註釈をつけて初めて口にしたことを、彼は今あからさまに表明しているのである――