この第八番交響曲のスケッチを完成させた一九〇六年夏からと限ってマーラーの年譜を見てみても、改めてその超人ぶりには驚かされる。
ヨーロッパ中を駆け巡り、ほぼ毎年渡米している。この間リヒャルト・シュトラウスの『サロメ』ウィーン初演(世界初演は一九〇五年・ドレスデン)を指揮したり、ニューヨーク・メトロポリタンオペラでは『トリスタンとイゾルデ』や『ヴァルキューレ』その他を指揮、コンサートに至ってはそれこそ多数だ。
それに一九〇七年七月には長女を亡くし、同じ時期に心臓病の診断を受け、一九一〇年には妻アルマの不倫が発覚、フロイトの診療まで受けている。
こんな超多忙なスケジュールや私生活上の事件の合間を縫って、前述の遺作三部作までも残すのだ。私見だがこの遺作の中でも第九番交響曲は全マーラー作品にあっても代表作の一つ、未完に終わった第一〇番はそれに続く存在だろう。
実は私はこの一〇番も立派な代表作としたいのだが、未完成に終わっているのでこれは通らない。こんな思いもあり本書第四章でこの一〇番を扱った。
第八番はどうかというと、実は私はこの交響曲は傑作には変わりないものの問題作だと思っている。マーラーにとってもこれほどの規模の声楽曲を作曲するのは初めてだった。
そして時間的にも制約があった。推敲する時間がやはり不足したと考えているのだが具体的には後ほど論じたい。
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