信長は、家臣団に言った。

「天下布武には、清州は不向きである。でそれでだ、次の城の引っ越し先であるが、美濃攻めに効果的な場所、二の宮山にする。よって、この清州を離れ二宮へ引っ越す。よいな?」と二宮(現在の愛知県犬山市あたり)への引っ越しを提示した。

すると、家臣団からは不便な土地への転居に対して猛反対となった。

「なぜ、あのような不便極まりない場所へ引っ越しなどするのですか? 先祖伝来のこの肥沃な尾張の中央地、清州からあのような山の僻地へ移るのは絶対に嫌でござる」

やいやい文句がでるわでるわの状態であった。

「そうじゃ。殿、大体荷物をどう運ぶのでござるか。しかも敵、美濃に近すぎるわ」と喧々囂々(けんけんごうごう)議論を始め埒が明かない。

すると信長は、代案をこう切りだした。

「それでは皆の者、小牧山はどうじゃ? あそこなら平坦地、農耕もできる肥沃な土地も多くある。近くまで川も流れておる。引っ越しも船で悠々じゃ。

肥沃な土地は、米作りにも良い。収穫されたコメの運送も楽である。稲作にも至便じゃ。水も田畑に引ける」

すると、先ほどまで猛反対だった家臣一同は、

「それは好都合じゃ。問題なしでござる。賛成じゃ」

「賛成、大賛成じゃ。小牧山じゃ、小牧築城で決まりじゃ」と即決で大賛成となった。

信長の代案は、効果てき面だった。交通網が発達していない時代。移動は人の足か馬であり、馬を所有できるのは、ごく限られた上級武士だけだ。当然、引っ越し作業は、家臣にとって重労働になり嫌がった。

だから信長は、最初は不便な土地への引っ越しをわざと告げた。

そして、翌日至便な小牧山への代案を言明したのだ。小牧には城の麓まで川が巡っている。荷物の輸送も川船を使用すれば簡単に可能だ。

こうしてこの小牧案は交通の利便性が高く、家臣からも高く評価され、喜ばれる代案となった。皆、喜んで引っ越しをした。この移転は、更なる大きな副次的効果もあった。

次回更新は3月9日(月)、19時の予定です。

 

👉『信長様と猿』連載記事一覧はこちら

【前回の記事を読む】火急の早馬を出して、小1時間経った。しかし信長の機嫌は悪くなる一方で、家臣たちは最悪の事態を…

【イチオシ記事】「今日だけ、お願い」——僕には妻がいたが、彼女のことを無我夢中で抱いた。キスをし、胸を吸い…