尾張統一、そして小牧城へ

◆永禄6年(1563年)7月頃

小牧城は、日本の築城史の原点となる要素を豊富に取り入れ後世に伝えている。その手法も信長の天性の閃きと知恵が生んだ。稀有な天才といわざるをえない。

信長が指示した築城には、珠玉の知恵が遺憾なく発揮されていた。小牧城築城前に指示した内容は、少なくても以下のようなものがあった。

信長は普請の丹羽らに命じた。「次の5つの内容に従って築城せよ。よいな」

その5箇条とは、

一、城は、敵から攻められにくくする必要がある。よって、強固な造りを効率的に行う。それゆえ、領内の自然な川の蛇行の流れを利用し、自然な防壁を利用せよ。それで経費と時間を浮かせる。

二、敵が一気に攻められぬよう、虎口を作り敵が手詰まりする流れを造れ。外見上は攻め易くさせておくが、実際攻め入れば手詰まる。そこに我らの弾丸、矢、石の集中砲火を可能にする造りにせよ。

三、天守は、将来主君が居城する内容に変更せよ。常に臨戦態勢できる状況を可能にする。本格的な始動は次の城からである。小牧の城は、その前段階の試験的なものとする。

四、家臣団も城郭内に住まわせよ。居館は、戦時において軍議や活動がしやすくなる配置にせよ。

五、城内の領域は、関所を取り払い通行税を廃止せよ。無税化で、城下町が活気づく環境を創成せよ。