家の主、八右衛門や屋敷の者たちは、信長が今日も中門から屋敷を観察していることに気づいているが気づかないふりをする。
失礼があれば、どんなお咎(とが)めを受けるかわからないからだ。触らぬ神に祟りなしだ。
信長は、屋敷内を観察しながら藤吉郎を見つけると、手招きして呼び寄せた。
「おい、そこの茶色の服を着ている小さい男。帥(そち)だ。少しこちらに来い。話したいことがある」
「私のことですか?」
藤吉郎は自分を指さし信長に歩み寄っていく。
「この屋敷で下働きをしているものだな? 儂は織田家領主、上総介(かずさのすけ)信長だ。帥は何という名か?」
大概の者は領主の質問におじけづくが、この男は臆することなく片膝をついて語り始めた。
「これは、織田信長様ではございませんか。私、藤吉郎と言います。殿のお噂は伺っています。ここでお逢いでき大変光栄でございます。どうかお身知りおきのほどを」
藤吉郎は続けて自己紹介までも行った。
「私は、尾張郡中村の農民、弥右衛門の長男として生まれました。が、父は戦働きで亡くなり、母様が後家になり、筑阿弥という父を迎えました。
弟、妹が生まれ生活は困窮する一方でした。とうぜん肩身も狭くなり儂は村を出ました。そして美濃から尾張の周辺で針や草履を売っていました。
そんなとき、生駒屋敷を訪れる機会があり、何度か訪問するうち吉乃様のお気に入りになりました。
それで吉乃様が兄様の主、八右衛門殿にこの家の仕事を取り計らってくださいました」
次回更新は2月27日(金)、19時の予定です。
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