【前回の記事を読む】建築業界は「親方と見習い」の制度が強く、性に合わなかった。スピード感を求めて、スタートアップ業界へ転職すると…

第一章 私と長男のこと

長男のこと

さらに、単なるビジネスというだけではなく、日本人であるという要素を自分の強みにすることを決心して、準備をする。

MBAを取った後、しばらくアメリカで働いてからいよいよ来日。そのしばらく前に引退して日本に戻っていた私たち両親と一緒になった。

かつて、私の母とその弟である叔父が住んでいた二世帯住宅で暮らし、のちに結婚することになるカーネギー・メロン時代のクラスメートも一緒に来日した。

日本の学校に通ったことがなかったにしては、もともと日本語にはそれほど問題はなかったが、この日本にいた間に、長男の日本語力は格段に進歩した。勤めていた会社が、特別にビジネス敬語の講師をつけてくれたりして、人との交渉やビジネスプレゼンテーションなどでも完全にバイリンガルになった。

その間、いろいろな会社で人脈を作り、日本式ビジネスの仕方を覚えること5年。アメリカに戻ることにした。

日本進出をしたいというニューヨークの企業に入ったが、上層部の意思決定の遅さを体験して、1年で転職を決める。ニューヨークからサンフランシスコへ移動、いよいよ本格的な落ち着き先として、パロアルト研究所を選んだ。この研究所はゼロックス(Xerox)傘下の研究開発機関である。

ただし、日本関係の仕事という約束で、入社してからは実際にほとんど毎月か隔月くらいで日本への出張があった。短くPARC(Palo Alto Research Center)と呼ばれることも多いこの研究所は、実はパソコンの基礎技術の生まれたところである。

例えば、マウスの技術・デスクトップのアイコン表示・イーサネット・レーザープリンタなど。それってAppleやマイクロソフトではないの、と言われるかもしれない。

Appleやマイクロソフトが、PARC発の技術を実用化したのである。この(いい意味でも、あまり芳しくない意味でも)有名な研究所については、後の章で詳述する。

10年余りPARCで過ごしてから、いまはエヴォリューション・ベンチャーキャピタル(Evolution VC)という会社の副社長として、新しいビジネスの創出活動をしている。

支援を行っている例では、「売らない店」のビジネスモデル(脚注①)を展開する「ベータ(b8ta)」の日本進出がある。また、資金の出資元として横浜銀行・丸井グループ・カインズなどもあって、ここでも米国にベースを置きながら日本との関係が深い。

長男も私と同じで長い付き合いの友人がいる。仕事関係では、ビジネス・スクールで仲良くなった日本からの留学生もその一人である。

長男が日本にいた時期の後半では、帰国していた彼と一緒に仕事をしていたし、最近聞くといまやっているエヴォリューション・ベンチャーキャピタルの日本側の仕事を、また彼に頼んでいるという。二人は20年以上の付き合いになる。