大学に入学して間もない日。右も左もよくわからないまま、学食で声をかけてくれた1、2歳年上の先輩がいた。たまたま、隣の席にいて「時間あるなら、コーヒーでも飲まないか?」と誘ってくれたが、彼の話は長くなった。

それ以来その先輩は、ひろしを見つけると必ず声をかけてきた。若者特有の議論好きな先輩と、ひろしは思っていた。

「コギト・エルゴ・スム!(我思う、ゆえに我あり)」

彼は口癖のようにデカルトのこの有名な言葉を言いながら、どんどん議論を進めてゆく。

「例えばね、ここに水の入ったグラスがあるだろ。これを認識するには、見て、触って、水を飲む。それでその存在がわかり、認識できたと思う。しかし、本当に、その存在は確かな事実だろうか? その存在を疑えば、感覚だけで証明した事になるだろうか?

もし批判されれば、その存在はそれ以上どう答えられるのだろうか?

デカルトは、そうした様々な存在を批判精神をもって思考した結果、その自分の存在をまず自分が思う、それ故に自分は確かに存在する、と考えたんだ」

ひろしにはなんの事かよく分からず、なんの反論もできず、なんとなく自分の読書量の少なさに引け目を感じるだけだった。

そんな稚拙な議論を繰り返すうちに、「方法序説」に近づく議論となるのかもしれないが。

大学のキャンパスに黄色いイチョウが舞い、冷たい風が吹き始め、コート姿の学生が増えてきた。ひろしは、講義に出るか、雀荘に行って仲間と雀卓を囲むか、学食で食事する。あとは、家庭教師のアルバイト、たまに図書館に寄る。平凡な学生生活が続いた。

ある日、南棟3階の図書館で、新聞の広告欄で見たエリック・ホッファーの著書を探していた。

「ちょっと、ごめんなさい」

女子学生が、ひろしの背後を通りすぎていった。彼女の横顔が気になり、本を探すことはやめた。

それが、杏子との出会いだった。それからは大学のキャンパスなどを歩く時、なんとなくその子を探していた。