無実の罪で処刑された上野軍医

この一例として、太平洋戦争が終わり帰国して後(のち)にグアム島において軍事裁判にかけられて、アメリカ軍によって処刑された栃木県出身の上野千里(うえのちさと)軍医のことを述べておきたいと思う。

私は上野軍医が家族に書き残した遺書を見た時に強いショックを受けるとともに深い感銘も受けた。これこそ人間として生まれ、高次元の精神性を発揮しつつ軍医として祖国のため、愛する家族のために不惜身命(ふしゃくしんみょう)の限りを尽くした姿勢は「自己実現」を体現した最たるものと思っている。

上野千里軍医はなぜ、米軍によって処刑されなければならなかったのか。

太平洋戦争の末期、グアム島の日本軍は米軍のB29爆撃機の攻撃を受けていた。爆弾投下の際に日本軍の高射砲で撃ち落とされる者もあって、パイロットは落下傘で脱出したものの日本軍の捕虜になるものもいた。そうした捕虜を収容していた施設にも米軍は爆弾を投下したため、死傷者が出た。

上野軍医は負傷者を地下壕(ちかごう)の手術室で治療していたがちょうどその時、B29の爆弾投下が激しくなり、避難命令が出たので手術を中断するための処置をして一時避難をし、再び手術室に戻ってみるとパイロットは何者かに殺害されていた。上野軍医の上官が上野の部下の衛生兵に直接命令を下して処刑してしまったというのが真相だった。

戦争が終わりいったんは国内に戻っていた上野軍医は、この捕虜虐殺の罪を問われ、再びグアム島に連行され、戦犯裁判にかけられた。冤罪であるにもかかわらず、自分が否認をすると部下たちが罪に問われることを知っていた上野軍医は、自分が捕虜処刑の命令を下したと述べ、無実の罪をかぶったことで、グアム島での処刑が実施されたのである。

死刑が決まって死を覚悟した上野軍医は「生きる目的」を死ぬまで持ち続け、自分の命の輝きを妻や子供に伝えようとする。この生きざまを見た時にどんな理論よりも明快にあらゆる境遇の人にも生きる意味があり、命を輝かすことができることがわかった。

  

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