ヤマト朝廷が、高句麗の東川王の王族らによって始まった。(古事記・日本書紀における最後の神武天皇東征のモデルとなった)

魏の慕容氏が中国北東の扶余国を攻め、扶余王の一族が佐渡島を経由し関東の常陸の国へ逃げて来る。(扶余=鹿という意味。茨城県「鹿島」の祖となる)

慕容氏は南下し百済を支配。慕容氏に攻められ高句麗の西川王が日本列島へ亡命し、祖父の東川王一族がいるヤマト王朝へ逃げ込み懿徳天皇となった。

四世紀、中国は西晋が劉氏に滅ぼされ、五胡一六国という群雄割拠の時代に入った。

新興勢力の劉氏系の御間城入彦が日本に進出し崇神天皇となる。(百済王子ウラ、新羅王子ツヌガアシト日本進出)

高句麗は台頭してきた劉氏の助けを借り慕容氏に対抗したが、三一八年に反撃され大敗。

強勢の慕容氏は朝鮮半島から日本列島まで一気に進出し、慕容仁が垂仁天皇として即位。

三三七年、慕容氏は燕を建国。

慕容氏の王子ヤマトタケル(=慕容儁)が日本列島へ派遣され、クマソら西日本の勢力、東日本の日高見国、扶余族系(鹿島)勢力を降して日本列島を統べた。

十年後、ヤマトタケル(慕容儁)は朝鮮半島の百済と日本列島の支配を息子の仲哀天皇に任せて燕に帰国した。

燕国に戻り、中国皇帝を僭称していた石氏を討つ。

三六二年、仲哀天皇は新羅攻撃で神功皇后と対立し百済に戻る。

三六九年に新羅攻めが行われ、燕からは、百済王子を和王に任命する七支刀が和国へ送られる。

弓月国の融通王(弓月君)、秦氏(苻氏)、百済の民が分裂し、日本へ十万人が渡来してくる。

 

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