【前回の記事を読む】「フランス語で言え」パリに着いたと実感したのは有名な観光地ではなく、駅員のたったひと言だった――

2 ジャンヌ・ダルク最後の地・古都ルーアン

⬥ノルマンディーに上陸

パリ到着当日は大使館に行っただけで疲れてしまい、市内観光はせずホテルで休み、翌日9月29日土曜日の朝ルーアンに向かった。派遣先として聞いて初めてルーアンの街を知ったため、慌てて旅行ガイド本を買い下調べをしていた。

ルーアンはノルマンディー地方の中心都市で、パリ同様セーヌ川に沿った大変歴史のある古都とのこと。ノルマンディー地方はフランス北西部、大西洋に面していて第二次世界大戦での連合軍上陸作戦でよく知られている。

日本人に人気のあるモン・サン=ミシェルもこの地方にある。セーヌ川がドーバー海峡に出る河口にあるルアーブルまで行くSNCF(国鉄)幹線路線の特急で約1時間半、約150キロの距離にある。

今では在ルーアンの日本人会もあるくらい日本人も多いようだが、1984年当時、滞在していた2年間で私が会ったルーアン在住の日本人は画家の夫婦と音楽学校に留学していた女性の3人のみだった。旧ノルマンディー公国の首都だったこともあり、いかにもフランスの街といった風情がある。

英仏100年戦争時、英軍により捕らえられていたジャンヌ・ダルクが火刑に処せられた街としても知られている。第二次世界大戦では日本の都市同様爆撃を受けて大変な被害を受けたとのこと。

内陸部の都市だが、セーヌ川の川港で古くから外国交易の拠点だった古都でもある。滞在中の2年間、通った学校を含め、主要なところへはすべて歩いて行けるほどのコンパクトな街だった。

私は学生時代に、遠藤周作の『留学』を読んだことがあった。その小説の中に〈ルーアンの夏〉という章があり1950年のこの街を描いていた。この小説は遠藤周作自身のフランス留学経験をもとに書かれており、遠藤が渡仏した年齢はその当時の私と同じぐらいの年齢だった。

そんな偶然もあり、出発前に私は何度もこの小説を読み返し、ルーアンでの日々を想像していた。彼が出会ったような優しい人たちに自分も出会えると勝手に思い込んでいた。

結果的に、学校関係者や私を家族同然に接してくれたマシュレイ夫妻など、2年間の滞在で知り合った人たちは皆とても良い人たちで、特段嫌な思いをすることもなく、すっかりフランス好きになり帰国できたのは幸運だったに違いない。

そうなることをまだ知る由もない当時の私は、パリ到着の翌朝早く大きなスーツケースを抱え、印象派を代表するモネが絵画にしたことで知られるサンラザール駅から、フランス北西部の港町ルアーブル行きの特急列車でルーアンに向かった。

こうして文字にすると簡単に見えるが、実際にはチケット購入だけでも苦労した。私が「ルーアンまで」と何度言っても「オルレアン」と聞こえるらしく、「それが出るのは別の駅」と言われてしまう。オルレアンはフランス中部の都市で、ルーアンとは全く別の方向になる。言葉では伝わらないのでメモ帳にスペルを書いてやっとチケットを買えた。