【前回の記事を読む】義父の死後に聞こえてきた風呂場の水音。年月を経て、今度は妻の脚を“何者か”が掴み……
1.神の創造の奥義
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私は幼少時より当たり前のことが不思議でなりませんでしたし、物事についてのちょっとした疑問や違和感が引っ掛かって思考がそこで滞ってしまいました。なかなか普通の理屈が呑み込めなかったのです。
秀才といわれる人達は頭の回転が良いですからサッと分かってどんどん次へ進んでいくのに、私は鈍くさく何時までも引っ掛かったところが納得出来ず、反芻していたのです。
そもそも成長するとは何処までのことなのか。何かを目指して成長するなら必ず終着点がある筈ではないのか。何時までも何処までも成長を続けるというのはおかしいのではないか。神は全知全能で偉大だとしても神の高みが変わらない限り、成長を続ければ何時かは神のレベルに到達することになるのではないのか。
倫理道徳に従い善いといわれる生き方をしたところで、あるいはその逆の悪いといわれる生き方をしたところで、それが何かに記録されたり伝承されるわけではない。仮に記録されても地球の滅亡と共に跡形もなくこの世から消え去ってしまう。
それなら何処に善く生きるべき必要性があるというのか。悪く生きても同じではないか。これらの疑問はずっと胸の中にわだかまっていたのです。
幼少期から毎日のように繰返された、理由がまるで分からない父親からの悪態、誹謗、侮辱に苛まれているうちに、なぜこんな理不尽な苦しみを受ける必要があるのか、この世界が、この宇宙がなかったらこの苦しみもなかった筈なのに、なぜ存在しているのか……いや、存在しなければならないのか、本当は存在しない方がよかったのではないのか、と深い疑問を持つようにもなっていったのです。
そのような疑問を持ちながらも若い時には学業や仕事や子供の養育などで忙しく、また父親の仕打ちの影響か高校時代に酷いうつ病になってから長期の治療を続け、十分な考究の時間がないままに何十年も過ぎてしまいました。
宇宙の存在理由につき天啓を受けてから数年、丁度コロナ禍で家にいる時間が増えたことも手伝い、私は天啓を100%の真実としてそれを基礎に思索と考察を積み重ねていき、ある確信を持つに至りました。神の創造の構想と方法は、古代から現代に至るまでのあらゆる宗教、哲学、科学において、全く理解の及んでいないものだったのです。
神は将来のこの世の状態を身近なことで象徴的、暗示的に既に示していたのですが、誰もそれに気付いていなかったのです。地上は勿論、霊界でもまだ誰も知らぬことのようなのです。霊界でも? どうして霊界のことまでそんなふうに言えるのかと思われるでしょうね。
実は霊界からはこれまでに沢山の通信が届いていて、スピリチュアル研究者の間では共有されている情報があるのですが、その中の何処にも私が到達したような内容のものがありません。
私には霊界でも誰も知らないことが分かるのです。でもこれは、この世の存在について深い疑問を持ったならば、科学で物質世界のことが分かるように、必ず理解出来ることなのです。