こころというものは、いかに動揺し、ざわめき、護り難く、制し難いものであるかがよく表されている。
種田山頭火は『死を前にして歩く』(2)において、自己の実相を、
「或る時は菩薩、或る時は鬼畜、それが畢竟人間だ」
と語っている。
あるがままに任せておけば、怠けたり、むきになったり、一定しないのが自己の実相であるとも言えるのではないだろうか。そのような自己であることを認識することが大切だ。
(1) 時実利彦 『脳の話』 岩波新書 一九六二
(2)種田山頭火『死を前にして歩く《山頭火の本3》』春陽堂書店 一九七九
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