【前回の記事を読む】脳内では常時五人の生きたい自己が巡りめぐっている。「だた生きていたい」、「たくましく生きたい」、「うまく生きたい」…

第一章 自己の真実性

第一節 自己とは何か

第一項 自己の所在

意識された自己そのものは、こころのはたらきと同じように、

見ることも、

聞くことも、

触れることも、

できない。だから自己には所在はないと言える。

しかし、自己は言葉や表情、態度などのからだを通して所在が現れてくる。ちょうど、見えない風が樹木の揺れや音によって所在がわかるようなものだ。

また、自己は自己以外のさまざまな環境要因によっても常に揺れ動く。決して不動ではない。流動的で不完全で、自己には固定した所在はない。

そして、自己と非自己との認識作用によって、非自己を排除して自己を保存しようともする。

その一方で、自己には非自己を受け入れる寛容性も備わっている。

まさに自己には所在があるようでない。ないようであるというように、矛盾していると言わざるを得ない。

第二項 自己認識

自己は五感による認識を超越しており、とらえることができない不思議なものだ。

しかし、こころのはたらきによってさまざまなものを同一化したり、五つの生き方が巡りめぐったりして一定していないことが自己を認識するうえで必要である。

自己認識については自己を拡張、延長する作用がある。

わたしのこころやからだから、衣服、趣味、特技、娯楽、お金、家、自動車、町、国などまで、自己をとりまくもの、自己に関わるものを自己同一化しようとする認識作用がある。

この認識作用は、すべてわたしのものであると思うだけであって、思う自己そのものには実体があるわけではない。

自己は認識を超越しており、とらえることができないからである。

われわれが現実だと思う自己認識は脳が認識した世界であるにすぎないのだ。

あらゆる存在はただ意識するだけ、すなわちこころにすぎない。

ただこころのみがあって、外界には事物的存在はないと観る。

そのこころは、表層意識から深層意識まで複雑な階層性(hierarchy)を示す。