第三章 学生時代
キャンパスライフとバイト
青雲の志を抱いて、一路東京へと旅立つ。アサオは朝一番の新幹線に飛び乗った。
当時新幹線は1964年の東京オリンピックに合わせて、東海道新幹線が開通して、5年目。豊橋は「こだま」しか停車せず、「ひかり」は東京・名古屋・京都、大阪と4ヵ所しか停まらなかった。時速200キロメートルのこだまは快適だった。東京駅から山手線で池袋へ。そこから西武池袋線で3つ目、江古田の駅に降り立った。そこは憧れの学舎日大芸術学部の拡がる街であった。
そこから歩いて20分、板橋区小茂根、環七の沿道近くがアサオの月三千円の下宿であった。三畳の下宿は陽当たりが悪く、湿り気の多い、2階であった。そんな東京でのアサオの生活が始まった。
4月には、入学式、オリエンテーション、特にクラブ活動のそれは見ごたえがあった。式が終わってキャンパスを歩くとあちこちに出店が出て、各サークルが勧誘をしていた。アサオは体格も良かったので体育会の各部にすぐ声を掛けられた。
可愛い女の子がテニス部に入らないかと誘ってきた。アサオは早速、面接を受け、テニスの経験が無くとも良いと言うので、一応、住所・氏名・TEL番号などを書いた。
翌日、下宿に先輩の女性からTELがあった。「入らないか」。アサオは、「考えとく」と答えた。そんな学生生活も授業はマンモス教室で退屈なものだった。まだ大学にも馴染めなくて、同じ高校から東京の大学へ来た、親友のUやFと付き合った。
ある夜、アサオは一人池袋の繁華街を歩いていると立て札に「勧誘員募集・異色サロン愛に恋」とあった。応募すると客を誘い、店に連れて来ると日給千円、一組連れて来ると300円くれると言う。
当時、物価はハイライト70円、外食が120円~150円で食べられる。喫茶店のコーヒーが80円であった。電車賃の最短区間がどこも20円であった。その時からバイトが始まった。そしたらデカ番と言って刑事を誘ったら、後で分かったのだが客引きは違法行為であった。
刑事の背中を押して「お客さん安い店がありますよ。行きませんか」と誘った。
一人の刑事がアサオのジャケットのすそを摑み、もう一人の刑事が押さえつけ、手錠を掛けた。アサオがびっくりしたら、刑事は警察手帳を見せ、「現行犯逮捕」と言って身柄を確保した。手錠を掛けたまま連行した。アサオは恥ずかしくてしょうがなかったので刑事に「逃げないので手錠をはずしてくれ」と頼んだら刑事はスーツで隠してくれた。
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