【前回記事を読む】火事から逃げきれず、夫は焼死体に……もし、“灯油ストーブ”を“電気毛布”に変えていれば…その代償はあまりに大きかった

第1章 利用者さんとずっと一緒

本当ならいいお父さんになっていたかも

ひと昔前の奈良は部落差別が激しく、被差別部落の子供達は、地域や学校で激しいいじめを受けていました。学校に行きたくてもいじめのため登校できず、地域でたむろし、不良少年や暴走族になってしまった子供達もいます。

タカシ先生と服部が往診している川上君(50歳になるのですが、皆に君づけで呼ばれています)も、若い時は地域の仲間と暴走族を結成し、爆音を響かせながら悪の限りを尽くしたようです。

学問もなく手に職もつけていなかったため、大人になっても貧困から脱する事はできませんでした。覚せい剤を打っていたためC型肝炎になり、アルコールの多飲も加わり、肝硬変にまで進んでしまいました。

肝機能が低下するにつれて、持病の糖尿病も悪化し、今ではインスリン注射も打たなければなりません。

そして40代の時、かつての仲間達と金銭関係でもめ、頭を鈍器で殴られ、意識不明の状態で入院しました。右の頭蓋骨が陥没し、右脳はほとんど機能を失ってしまいました。何とか命はとりとめましたが、重い障害が残り生活保護を受給しながら、在宅で介護や看護を受けて生活しています。

これだけ聞くと、皆さんは怖くて往診なんか行けないだろう、と思うかもしれません。しかし川上君は皆が思っているような悪ではなく、往診に行けば私達に必ずありがとう、と言ってくれます。

訪問介護や看護の人達にも感謝し、暴力を振るったりする事は決してありません。いくら注意しても酒とタバコはやめませんが。

本人達に何の責任もなく、ただその地域に生まれただけで激しい差別を受けなければならなかった。このような理不尽な差別がなければ、川上君も楽しく学校に行き成長し、やがて社会に出て、立派な家庭を築いていたかもしれません。

同じような境遇の人達も、生活保護を受ける事なく税金を納め、国のために働いていたかもしれません。

人間の優越感や差別意識が、このような大きな負の遺産を残しているのです。