たちまち造園会社の評判が高まり、庭木(にわき)の剪定(せんてい)などの仕事の注文(ちゅうもん)が一気(いっき)に増え、中小の住宅会社(じゅうたくがいしゃ)から造園の仕事まで舞い込むようになった。

造園会社も活気(かっき)づいた。

「あそこの高校は、ダメ学校と思っていたところいい生徒が育っているんだなア」

「ほとんど感情(かんじょう)を持っていないロボット先生が多いそうだが、一人面白い先生がいるそうだ。あの先生のおかげで、偏差値(へんさち)がチョビっと上がったそうだぞ」

石田君の作成した美しい野草新聞の「移りゆく四季」と大手新聞の記事を見せてもらった清水先生は、堪(たま)らないほどの喜びを感じた。

(……これが、教師冥利(きょうしみょうり)に尽きるということか。もっと頑張(がんば)るか)

ところが、ある親から怒(いか)り心頭(しんとう)の抗議(こうぎ)が学校にあったのである。

抗議をしてきたのは、他県(たけん)の公立高校(こうりつこうこう)から転校してきた清田晴彦(きよたはるひこ)君の親だった。

「変わり者の清水先生の授業は、とんでもなく変わっている。文部省(もんぶしょう)(現文部科学省)の定めた高校学習指導要領(しどうようりょう)に基づいたカリキュラムを全く無視(むし)している。明けても暮れても山野草の勉強では高校生物を履修(りしゅう)したことにはならない」

まさにその通りだった。弁解(べんかい)のしようもなかった。校長先生も他の先生も、清水先生の授業内容は十分過ぎるほど分かっていた。それでも、自分には直接関係がないので「知らぬ顔の半兵衛(はんべえ)」を決め込んでいた。

でも、校長先生は大いに慌(あわ)てた。

この学校では、代々(だいだい)にわたって、公立高校を定年退職(ていねんたいしょく)した校長先生がお飾(かざ)りのような名誉職(めいよしょく)として校長に就任(しゅうにん)していた。引退、退職後の名誉職だから、しゃちこばって学校改革(がっこうかいかく)をすることなどはあまりにも煩(わずら)わしい。

校長先生にとっては第二の人生、余生(よせい)への橋渡(はしわた)し。穏便(おんびん)こそが最も大切なことだった。

次回更新は2月4日(水)、11時の予定です。

 

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