【前回記事を読む】製薬会社の社長が高級クラブに会社の金を貢ぎ…「副作用での死亡例等、企業イメージをこれ以上落とすリスクを避けたい」
第一幕 邂逅
一九九四年三月
アルツカットの治療対象となる認知症の症状は「中核症状」と「周辺症状」と大きく二つに分けられる。
「中核症状」とは「認知機能(知能)」の低下で認知症の本質である。今日が何日かわからなくなる(見当識障害)や、もの忘れや物盗られ(記憶障害)などで認知症の必須の症状といわれる。一方で「周辺症状」とは妄想、不安、幻覚、うつ症状、興奮、暴言、暴力、徘徊などで「行動・心理症状」といわれる。
「中核症状」が表れても、例えば今日が何日かわからなくなっても、新聞などを見ればわかることで、介護者や家族にそれほどの負担がかかるわけではない。一方で、妄想、幻覚、徘徊、暴力といった「周辺症状」の出現や悪化は、家族や介護者の負担を増大させることが知られている。
こうした周辺症状に手を焼くようになると、精神病患者に使う向精神薬や抗うつ薬などを用いざるを得なくなるが、そうした薬剤は中枢への重篤な副作用の頻度も高い。
一日中ぼうっとしたり、歩けば転倒や骨折を繰り返し寝たきりとなる例も少なくない。
こうした状況もあり、二重盲検比較試験の結果、「中核症状」と「周辺症状」の双方に効果が高く副作用も少ないというアルツカットは、発売前から専門医の注目を集めていた。
この薬剤が認可され医療機関で処方されるようになれば、国内だけでも年間一千億円を優に超える販売金額の画期的新薬となることが見込まれていた。
医療用医薬品業界では中堅メーカーである渋沢製薬も、日本の製薬企業の上位に踊り出る可能性も見えてくる。
こうした状況下で、治験中に副作用を出したレバガードの開発に、会社が慎重になるのも理解できないことではなかった。
「私だって研究者の端くれだよ。レバガードの優秀性はよく理解しているつもりだ。だから必ず、機会を見て経営陣にはアピールしておく。またチャンスもあるだろう」
奥貫の脂ぎった赤ら顔に、言うことは言ったという安堵と、引導を渡された哲也への同情の色が浮かんでいる。
「ありがとうございます。本当によろしくお願いいたします」
哲也は、そう言うのが精一杯だった。