思い出

一、二十年前、私が北京や蒙古でいろいろの画策をしていた頃、私の事業上の欠陥を指摘してくれたのは驪城君であった。此の点で君は私の恩師である。

二、驪城君は、君と師弟の関係ある多くの俊才や友人に私を紹介してくれた。此の点で君は私の益友である。

三、私がカルピスを発売するに当たって君は私の熱烈なる情緒を「何が為にカルピスを薦むるか」なる趣意書に現(あらわ)し、又「カルピスの一杯に初戀(はつこい)の味がある」なる文句を創作し、カルピスの名を揚げてくれた。此の点で君は我カルピスの殊勲者である。

四、今年三月上旬、君と協議する為めに西下を約して置いたのは、君が発病の数日前であった。然(しか)るに三月十一日晩、突如として「病篤し」の悲電に接し、早速駆け付けたがもう再会は出来なかった。

五、君はカルピス会社の黒幕にあって種々入れ智恵してくれた人である。今其(そ)の人が無くなった。私は寂しさに堪えぬ。浮世の事は皆こんなものだ。

己巳(つちのとのみ)初夏

於東京下目黒

蔵雲荘

三島海雲

※「カルピス」「初恋の味」はアサヒ飲料株式会社の登録商標です。

驪城君を懐(おも)う

春を誘う梅が香は、その梢に満ちてはいたが、肌を剌す寒風がなお地上に吹き荒んでいる頃であった。唯(ただ)かりそめのいたづきとのみ思っていた君には、朝露のそれにもまして、あまりにもはかなく此の世を去ってしまった。

人生の禍福、運命の変転は、何人もこれを予測することが出来ず、人力の如何ともなす能わざることとは云うものの、君が突然の逝去は誠に痛惜の情に堪えない所である。

君は夙(つと)に育英の道に志して教壇上の人となった。余が君と相識るに至ったのは大正三年の春三月、君が今宮中学校に赴任してからのことである。爾来十有五年の長き歳月を、同じ教の道にたずさわって、互いに助け扶(たす)けられつつ進み来たのであった。

君が赴任当時の我が校は創立後日尚久しからずして、所謂基礎を固むべき創業の域を脱せず、内容の充実実質の向上に凡(すべ)てこれからと云う時代であった。

此の際に君は国語漢文科の中堅として、その篤学と着実温厚な素質とを以(もっ)て、よく努力尽瘁(じんすい)し、追々(おいおい)その実績を挙げ、有為な多くの教え子が続々として社会へ送り出されたのであった。かくて勤続すでに十五年、君の円満な人格はいよいよその光を放って、多くの子弟の信頼と敬慕との厚いことは非常なものであった。

 

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