日本で、いじめが起こる文化的背景
日本では、集団の支配的傾向に異質な者が、いじめの対象になるといわれます。
私は、小学校を5回転校し、よそ者はその異質性から注目されたり、いじめられたりすることをいやというほど体験しました。
教育権が行政権に隷属していて、地方の教育がいつまでもよくならないことへの問題意識が強かった私は、教員になってからも、「それはおかしい」というような発言を校内でも組合活動でも繰り返し、常に厄介者扱いされ、異質な人間と見られてきました。
空気を読む文化が支配的な教員社会では、まずはまわりに合わせることが重視され、与えられた条件を従順に受け入れることが、よい教員としての行動規範になってきたのです。
各学校の代表が集まる組合の会議でも、必ず問題提起をしたり、改善提案をしたりする私のような人物は、執行部からも面倒な教員としての烙印を押されていたようです。
このように、問題にすべきことを問題にしないことを繰り返してきたなかで、教員ばかりが多くの負担と責任を背負う日本の教員文化が定着してしまったのだと思います。
いじめ問題など、子どもの世界に起こる問題は、大人社会に起こる差別意識や、面倒なことにはかかわらず、見すごせば誰かがやるだろうと、見て見ぬふりをする無責任さなどが、子どもたちの世界に反映されているものだと思います。
地域社会でも、我関せずの方が多いことをよいことに、行政と議会が馴れ合いを起こしているような現象を批判すると、逆に権力の攻撃の的にされるようなことも経験しました。
正しいことを主張しても、「まわりのみんなは問題にせずに追認してくれるのに、なぜ騒ぎ立てるのだ」と攻撃され、いじめの対象にされるのです。
正義が通る、善悪の判断が根拠をもってなされる社会になってほしいと思います。自分の周辺にある問題を考えるとき、「私ぐらいが騒いでも」と諦めたり、空気を読まずに、言うべきことを言おうとする人物を陰でいじめたりする文化から、脱却すべきです。
言うべきことを、丁寧に語り合える文化を教員社会に定着させるために、私はこれからも発信し続けていきたいと思います。
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