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それから一週間。まさ子は久しぶりに家に戻った。透が意識を取り戻し、脳圧も安定。命の危険は遠のいた。まさ子は病院に促され、夫幹雄にも言われて病院での寝泊りを終えることにしたのである。

まさ子の住むU市は、東京のベッドタウンの一つだ。江戸五街道に沿った宿場として昔から栄えた土地ではあったが、戦後は東京の爆発的な人口流入により、「首都圏」へと組み込まれていく。田畑は宅地化され、大規模な団地群も出現。東京郊外にはよくある構図が、ここでも展開されていた。

そのU市に、まさ子は一九七〇年、五年の社宅住まいを経て引っ越してきた。夫の通勤は片道三十分から二時間に膨れ上がった。が、まさ子にとっては天国である。金沢で育ったまさ子は、家といえば当然一戸建てだと思い込んでいた。

結婚と同時に東京に越してきて、最初の住まいとなったモルタル二階建て、2K風呂なしの社宅は隣との距離が近すぎて、心の落ち着かない場所だったのだ。

だから幸運にも抽選に当たり、U市の宅地購入権を手に入れた時は、本当にうれしかった。庭付きの二階建ては5LDK。夫婦共に詳しくない土地柄だったが、来てみると、そこはU市でも最新の、高級住宅地であった。幹雄は自慢げに大きな表札を掲げた。

翌年、透が生まれる。金沢から母のタキが手伝いに来たが、それも泊められる部屋があればこそ。風呂には洗い場も脱衣所もあり、子どもが泣いても近所に遠慮してビクビクしなくていい。まさ子は自分の幸せに感謝した。透は、まさ子の幸せの象徴であった。

その透がようやく二十歳を迎えようというのに、この家に未来は見えない。再手術を経て、透は意識こそ回復したものの、楽観視はできなかった。まだ表情は乏しく、意思の疎通はままならない。気道確保のために気管切開をしているため、声も出せない。

昨日と同じ今日。今日と同じ明日。前進したという実感のない日々。鬱々とした気分になりがちなまさ子だったが、それでも一つの山を越えたのだ、と自分に言い聞かせ、自らを奮い立たせていた。

何日も帰らないでいた家の中は、事故の夜から時間が止まっていたかのようだ。幹雄は家事をやらないので、食事は外でとり、家には寝に帰るだけになっていた。ダイニングテーブルの上は、郵便と新聞の山だ。

まさ子は家中の窓を開け放ち、いつから溜まっているのか台所のシンクに置きっぱなしになっているいくつかのグラスやカップを洗い終え、掃除、洗濯に取り掛かった。

まずはダイニングテーブルの上の郵便物の整理だ。溜まった新聞やチラシに挟まって、一枚の葉書が来ていることに気づく。それは転居通知であった。

「倉嶋……順子。順子? あの順ちゃん? え? T市って、目と鼻の先じゃない!」

倉嶋順子、旧姓横田順子は、学生時代、旅の途中で知り合ったことをきっかけに、大親友になった女性だった。

次回更新は1月13日(火)、14時の予定です。

 

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