全ての傷は化膿するものだった

病原微生物の存在が知られていなかった時代には、創傷の化膿はほとんど避けられないものでした。

当時の医学(四体液説)では、「怪我のような局所病のときは、からだは炎症の形で悪い体液を『煮沸』し、消化して、膿の形で排出する」、つまり、傷の化膿は正常な治癒過程のひとつだと考えられていたのです。

確かに、赤く腫れあがって熱を持っていた傷が黄色く化膿してくれば、適切な時期に切開排膿することで炎症が治まり、治癒に向かいます。

しかし、大きくて深い傷や広範な挫滅創(ざめつそう)が化膿した場合には、からだが本来備えている治癒機転では十分な対応が不可能になってしまいます。

傷は腐敗して壊疽(えそ)となり、大量の病原体やその毒素が血流に入って全身に廻り、敗血症となって致命的な結果となります。

そこで、手足に泥土などで汚染された深い創傷を負った場合には、より中枢側で切断して傷口を小さくすることが、この時代の絶対的な「救命策」でした。

時代が進んで鉄砲が登場すると、その創傷は刀傷や矢傷よりもはるかに治りにくく、それは「火薬の毒」のためだとされて、しばしば切断手術の適応になっていました。

ずっと後代のアメリカ南北戦争(1861‒65)でさえ、約8万人が手足の切断手術を受けたと記録されています。

名作映画「風と共に去りぬ」でも、麻酔なしの切断手術が出てきます。

手術があまりに多くてエーテルは使い果たした(すでに全身麻酔は発明されていた)とのことで、患者にはバーボンウイスキーを飲めるだけ飲ませ、残りは医者も飲んで…という印象的な場面を記憶している方もおられるでしょう。

陸戦ばかりではありません。海戦においても、戦列艦の医務室には切断された水兵の手足がごろごろところがっていた様子が、木造帆走の戦艦の闘いをテーマとした海洋小説には生々しく描写されています。

砲撃によって飛び散る船体の破片で四肢を負傷する乗組員が多かったのです。