【前回の記事を読む】長髪の私に担任が「頭は2枚か3枚にしてこい」と言った。よく分からないまま散髪屋で「2枚で」と言うと…
3 苦悩の中学生時代
成績の低迷と高校進学の危機
中学3年生になる頃には、一層成績が酷くなり赤色点滅状態となった。隣に住む悪友と遊ぶようになり、お金が必要で、禁止されているバイトをするようになった。新聞配達や牛乳配達は続かなかったので、近くの小さな工場で働かせてもらった。
さすがに不良ではないが、グレーゾーンに近づいていた。見かねた母親が、「やはり男の子は父親が育てる方がいい」などと言い出し、たらい回しにされるのかと、ますます荒れていき、志望高校入試にも暗雲が立ち込めてきたのである。
そこで、父親の実家に戻って、父が薦める仏教系の私立高校を受験するか悩んだ。この仏教系の学校は、京都には多くあり、殆どが中高一貫教育で、「坊さん学校」といわれていて、当時の私はあまり気乗りがしなかったのだ。
何故、父が仏教系高校への進学を薦めるのかが理解できなかった。いくら先祖が寺の住職であったとしてもである。もともとこのタイプの中高一貫校を目指したのではないと、声高々に叫びたかった。
両親同士は、離婚して関係は断絶していたが、父と私との交流は続いていた。父は、短気で偏屈なのであまり好きではなかったが、離れてみると、少しは反省したのか、とてもやさしくなっていた。
怪我の功名だろうか、別れ際には必ず財布を出して、伊藤博文の千円札を1枚だけくれた。中学生にとっては有難かった。ただ父に対して気になるのは、会うたびごとに痩せていくのであった。別れて見送る父の姿が弱々しく、家を出ていったとはいえ心配であった。
実家に帰って仏教高校にでも行って喜ばしてやろうかとも思ったのだが、当時の私の心境は、そんな目指してもいない私立高校への進学どころではなく、極論だが、志望高に行けないなら「中卒で就職する」という思いと、このような展開に不安でいっぱいだったのである。