そんなある日、同じ高校志望だった友達からカナダに一緒に行かないかと誘われた。どこから仕入れてきた話かは不明であったのだが、カナダに渡って材木の運搬業をするというのである。トロントの高校と大学にも将来進学できるということであった。
このような計画は、後に「猿岩石」がTV番組の企画でユーラシア大陸横断ヒッチハイクを決行したように、放送会社がバックアップするのとは違い、命がけの無鉄砲な挑戦となる。それでも怖いもの知らずのこの時期はとんでもないことを考え、できるような気がするのである。
「人間には無限の可能性がある」。
二人はそう決意して担任の岡地教諭に相談したが、担任はびっくり仰天して言葉すら出なかった。どちらにしても義務教育だけで終わるということである。
小学生で抱いた夢は早くも断念するしかない。岡地教諭は、慌てて思いとどまるような代替案を探してくれた。三者面談前の多忙な時期に、私たち二人の為に奔走してくれたのであった。
私たちは、綿密な計画を立てていた。英語は中学英語をマスターしていたら何とかなる。会話力は3年もすれば日常会話は話せるようになる。働いてお金を貯めてから
学校にも行けるだろう。とにかく国土が広くて寒冷地の気候も心配ではあったが、若さゆえ、大丈夫だろうと高をくくっていた。究極の問題は渡航費用をどうするかであった。
後日、岡地教諭から呼び出され、頭から反対するのではなく、少年の思いを壊すことなく、問題点について大人の視点から指摘してくれた。カナダの国柄や国内情勢も調べてくれた。先生には、危うい話とわかっていたのではないだろうか、と今になって思う。
結論は、高校卒業後にカナダの大学に留学した方が成功の確率が高いということである。そこで私には、家庭の事情を考慮した、好条件の進路を探してくれた。友達は、県立進学高を志望すれば合格できるということであった。
結局は、取り敢えず計画を断念することとなり、この夢のような計画は、その後も決行されることはなかったが、少年期に抱いた夢を、頭から否定することなく尊重してくれた担任には感謝している。
友人は志望校に合格して、自身は、夢からは遠ざかったが、取り敢えず、岡地教諭が薦めてくれた入試に合格して、高校進学断念という危機から脱して、単身15の春に大阪へと旅立つこととなった。
山科駅から大阪駅まで一緒に見送ってくれた亡き父の姿を今でも忘れない。父自身が13歳で朝鮮に渡った時の不安な気持ちと重ね合わせて、一人息子の旅立ちを祈るような思いであったと推察する。息子としては、父の痩せた身体での一人暮らしが心配であった。
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