【前回の記事を読む】部下には、イヌ型、ネコ型、サル型がいる。サルは一見、イヌのように忠実だが、常に隙を窺っていて、こちらが弱みを見せると…
随想 素晴らしき出会い
4 K先生を偲んで
人は誰でも生きていくうちに人生の岐路に立つ場面があり、その時に助言をいただきこれが自分の人生に大なり小なり影響を与えることがある。
振り返るとこの人が恩師にふさわしい人物と言えるであろう。お別れの機会にお言葉を添えることができたことや後にその想いを感じることができたことは私の生涯に大変喜ばしいことであった。
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昨年(平成30年)11月10日に先生から一通のお手紙をいただいた。
「寄る年波、自宅での二人暮らしは難しく別荘暮らしを決断いたしました」と。
先生の「粋な言葉」が新鮮だったが、それから1か月足らずで医師会にご逝去による退会届が出されたため、一瞬、言葉に詰まったものの脳裏には様々なことが思い出された。
先生は平成元年から平成14年まで14年間にわたり、第七代医師会会長として地域医療を牽引され、旭日双光章を受章された。さらに、県医師会では監事をされ地域医療一筋に身を捧げ、われわれ医師会員の模範となった。
当時、平塚総合体育館メディカルルームの開設や医師会館の移転問題、さらに平塚地域産業保健センター開設などその時代ごとの様々な課題にも柔軟に対応され、強いリーダーシップのもと数々の業績を積み上げ医師会運営を行ってきた。
また、先生には大変厳しい一面があった。
これは、私が開業4年目に、先生から仕事量が多く忙しい健保担当理事を任命され、引き受けるかどうか悩んでいた時、「次世代に医療を繫ぐために必要な仕事なのだ」と説得された。今ではその一件のおかげで現在の私があると考えている。
理事会では妥協を許さない雰囲気があったため、若輩者の私にはとても緊張感があった。しかし一方で、先生には大変優しい気遣いも感じられた。
社会保険診療懇話会に招いた講師に失礼がないようにと私にきめ細かく指示を出し、診療報酬改定時期になると情報はいち早く医師会員に伝達するよう指示された。
また私の父親とは同年齢であったため、多忙にもかかわらず長年学校法人の園医を引き受けていただき、また亡き内科医の義父にもいろいろとご指導をいただき、公私ともに先生には大変お世話になった。
一昨年(平成29年)、私が第10代医師会長を拝命したとき先生からお電話で「陰ながら応援しているから頑張って」と励ましのお言葉をいただき、大変心強く感じたのが思い出される。
医師会を最後まで想い気遣っていただいた先生に大変感謝するとともに、生前の先生のご指導を胸に刻み、微力ながら医師会さらに地域医療の発展のために努力していきたいと考えている。
(令和1年2月)