私たちは廃位された皇帝と皇后が住んでいた昔の宮殿を訪れた。外観は幾分中国風だが、以前に見た北京の宮殿ほど見事ではない。

そこに行くには、両側に低いタイル葺きの屋根の家が並んでいる大通りを通る。この大通りは二重の張り出し屋根が聳え立つ大きな入城門に通じている。そこを入ると、大きな中庭、二つ目の二階建ての反り屋根を持つ大きな門、それから低い建物で囲まれたもう一つの中庭、そして最後の宮殿に至る第三の門があり、宮殿へは幅広い石段を昇っていく。

最後に現れるのは謁見(えっけん)の広間であり、それはタイル葺きの反り屋根の美しい彫刻と鮮やかな色合いの装飾のある建物である。

ここから続く通路と中庭の先に、あずまや(訳注:遊園館pleasure pavilion)があり、それは大きくて開放的で、がっしりしたパゴダ・ルーフ(訳注:両端が反りあがった屋根)を持つ二階建ての建物で、石のテラスの上に立っており、石の手すりの付いた三つの橋を渡っていく。その建物の横には蓮の生えている池があり、近くに公園のような古風な松の木立がある。

この王宮で、数年前に韓国の皇后閔妃(びんひ)が就寝中に殺害された。だが皇帝は、苦力(くーりー)の衣装に身を包み、ロシアの公使館に逃れ、そこに二年間住んでいた。彼は後に彼自身の西洋式の新しい王宮を建て、今はそこにいわば囚人のように暮らしている。

一方彼の息子は別の宮殿に暮らしており、孫は日本で教育を受けている。皇帝は現在、大李殿下(Prince Yi the Elder)であり、彼の息子は小李殿下(Prince Yi the Younger)として知られ、同じ名を持つその孫息子は、五百年間韓国を支配した李王朝の最後の王である。

 

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