19年間の介護によって気付かされた母への思い
母は、2012年の8月に老人ホームへ入居しました。自宅で介護していたのは16〜17年間ぐらいだったでしょうか。父親は現在も自宅で暮らしています。まだ、家族の誰も三途の川へ辿り着いていません。
私の介護は1995年に始まり、19年が経った2014年の9月時点で、未だ終焉(しゅうえん)が見えません。
母の病状も毎日の食事の献立も、実家の経済状況もまったく知らなかったところから始まった介護。母は具合が悪くなっても、気だけは強かったので、私が家事をするようになった当初は、父を交えて喧嘩ばかりしていました。
個人クリニックを何軒も渡り歩いて、通院しているのに不調の箇所は増えるばかりで、ストレスを溜めていたのだろうと今なら母の態度も受け入れることができますが、当時は私も口答えばかりしていました。
母の症状は初期の頃からひどいものでした。
目は見えなくなり、下肢の痛みをたびたび訴えました。大腸からの下血も繰り返すようになり、亡くなりかけたこともあります。大きな病変は原因が判明したあとに起こったのですが、小規模な毛細血管からの出血は、総合病院に移る以前からあり、激しい痛みは伴っていなかったために、本人はずっと我慢していたようです。
腰椎の骨折も繰り返し、何度も何度も救急車のお世話になりました。骨折を繰り返すようになったのは、ベーチェット病とは直接関係ないと思われますが、毎日のように続く通院で疲弊し切っていた母は、ほんのちょっとした段差でも転んでしまい、足腰が脆(もろ)くなっていたのかもしれません。
今まで、多くの苦労がありました。気がついたら19年が経っていた、それが素直な今の感想です。
それでもこの期間は、今までの人生の中で私と母がもっとも近くにいた時間であったように思われます。
私は小さな頃から母と2人で旅行に行くのが夢でしたが、旅行どころか母と2人でゆっくりと、喫茶店でお茶を飲んだ思い出さえありません。
幸せだった家族の記憶といえば、唯一、小学校低学年の頃、母の勤め先の旅行で、土砂降りの中、東京サマーランドに観光バスで行ったことくらいでしょうか。寒さのあまり唇を真っ青にしながらも、母と職場の方の家族と大勢で写った集合写真の私は、嬉しさを爆発させて飛び跳ねています。
次回更新は1月2日(金)、18時の予定です。
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