【前回の記事を読む】周りの人たちは私にとても優しかった。学校内でも地域でも人気者で、表彰されることもたくさんあった。でも両親は…

前編|生い立ち

小・中・高時代

今思えば、両親の離婚も、祖父母が親代わりになってくれたことも、私の人生に大きな影響を与えてくれました。決して落ち込まない私の楽観的な性格は、おそらく田舎の環境によって育まれたのだろうと考えています。

「苦労は買ってでもしなさい」と、子どもの頃に祖母に教えられたことがあります。確かに子どもの頃の私の家は貧乏で、粟飯や麦飯が多く辛抱して食べていたこともありました。

でも祖父母は惨めな思いを孫の私たちに決してさせたくないという気持ちが強く、その愛情は私たちの心に深く浸透しました。

昭和六十年に六十四歳で亡くなった父は、幼少時から別居生活をしていて関係があまりにも薄くて、残念ながらその本性はほとんどわかりません。波乱の人生を歩んできた父独自の生き方には、恨みはまったくなく、男としての自由な生き方にはかえって興味さえ覚えます。

母も波乱の人生というとその通りで、気の毒ながら家庭運に恵まれなかったというか、男運のない人でした。八十四歳で人生を終えましたが、母は一時も子どものことを忘れず、成人してからもずっと死ぬ間際まで子どものことを案じていました。

両親から誕生したとはいえ、母親の母性本能は無責任に育児放棄した父親とは比較にならない大きさだと感じました。母は親として子どもを持った誇りと威厳を死ぬまで持ち続けていたように思います。私はそれを母と会うたびに感じました。

私自身も子どもにとって最高の親とはどんな親であろうかと自問自答しながら、父親としての責任を果たすべく今日まで生きてきましたが、それはこの両親の姿を見て育ったからでしょう。私の子どもたちも、いつしか親の育ってきた環境を知ったようです。