新聞配達のアルバイトには奨学金以外の利点もあります。それは勤めた当日からお金がなくても食事も部屋も布団も作業着も与えられるという、衣食住が備わった生活を確保できることです。
上京してお金がなくても、下着類など最低限の着る物があれば、生活するには何の不自由もなく、当然ですが新聞も自由に読める生活が保証されていました。
当時、都内の各新聞販売所は食事も待遇もまちまちで、小さな求人広告で「当所は美食」とうたっていた新聞販売所は誰しもが希望したものです。
しかし私の店の食事は手の込んだ料理は出ず、とても美食とは言えませんでした。食べ盛りの若者ばかりで生活していましたので、配達の終了時間が遅いと、味噌汁は早い人に先を越されて汁のみで、具はほとんど残っていませんでした。でも毎日、朝夕の食事が出ただけでも満足でした。
若者の住むアパートには風呂がなくて、銭湯通いが普通でした。銭湯帰りの女性とすれ違う時のほのかな石けんの香りには、南こうせつの『神田川』の歌詞にあるような何とも言えない清潔感を抱いたものです。
新聞配達の仕事は、朝刊の配達から始まります。毎日、早朝四時に起床し、前の晩に夜遅くまでかけて折り込んだチラシを新聞に挟み込んで(新聞はさらに重くなります)、それを自転車の前後の荷台に載せて、まだ暗い街へ漕ぎ出していきます。
雨の日には新聞を濡らさないように、今のように一部ずつビニールに包む機械などなく、ビニールで覆った自転車の荷台からお客様のポストへいち早く届けるのに大変な苦労をしました。時々、自転車が荷台の重さでひっくり返り新聞がバラバラに散らばることもありました。
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