その時、葵はこの感覚を味わうのは初めてではないような気がした。そんな経験などないはずなのだが。
それから十分ほど経過した。辺りは静かなもので照明が放つジーという耳障りな音がハッキリと拾えるほどだ。
「いつまで拗ねてるんだ」
「拗ねてなんかないです……」
先ほどまで東が座っていたソファに腰を下ろす葵を課長は反対側の壁にもたれかかりながら見下ろしている。
このソファにはまだ東の温もりが残っている。その主はやがてこの世から消失してしまう。涼介と話をする東を待っているあいだに課長は死神の存在について葵へ懇切丁寧に説明した。
・死に瀕した大切な人の前で、自分の命を差し出してでも救いたいと強く願うと死神を呼ぶことができ、命を差し出せる。
・命は一度しか貰えない。(でなければ理論上は不死の人間が完成してしまう)
・命を譲り受けた人物の怪我や病気は死なない程度に緩和されるが、手足などが失われている場合は元に戻ることはない。
・命を譲り受けた人物は差し出した者の記憶を失い、自分が命を譲り受けたことを知らないまま生きていくことになる。
・子孫をもつ人物が第三者に命を差し出した場合、子孫もろとも存在が消失する。今回のように東がこの世に生まれなければ息子は誕生しえないため。つまり、肉親が我が子に命を差し出すことは不可能。
「複雑すぎて頭が痛くなりそうです……」
「まだあるぞ。命を差し出した人間は存在が消失するが、ただひとつだけこの世に留まり続ける方法がある」
「そ、そんな方法があるなら今すぐ東さんに――」
言い切らないうちに病室の扉が静かに開かれ、東が姿を現した。憑き物が落ちたように穏やかな表情を浮かべているところを見ると少なくとも後悔だけはしていないようだ。
次回更新は1月17日(土)、11時の予定です。
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