「そうか、バター生卵牛乳納豆ご飯もいいかも知れないな。そっちの天ぷらそばもうまそうだね。ナオミ、好きだよね」

「バター生卵牛乳納豆ご飯はあまり想像したくないけど、いつだったか、ケビンがUCLAの植木の手入れをしている時に、キャンパスを見についていったら、「ツナミ」っていう、ちょっと不思議なネーミングの和食の学食があって、そこでお昼を食べたの。

そしたら、ハリー・ポッター似の学生が、かけそばを受け取ってケチャップをたっぷりかけるのを見ちゃって、唖然としちゃった。カウンターにケチャップを置いとくほうもほうだけど、日本人の血を引く人間としては、開いた口がふさがらなかった」

「それ、すごいね。バター生卵牛乳納豆ご飯にケチャップもかけてみようかな」

「それって文化の融合? それとも破壊?」

「うーん、どっちかな」

卒業を控えたナオミは就職活動を夏休みの途中でやめて、将来の模索を兼ねて大学院修士課程への進学を目指すことにした。卒業論文の執筆と並行して受験の準備を進め、十月に入学試験を受けて合格した。

研究テーマは卒業研究を発展させて、「日系アメリカ人の世代によるアメリカ社会への適応の違い」に定めた。進学して修士論文を作成するうちに、自分を含む四世や五世の若年世代のアイデンティティ・クライシスへと次第にテーマが広がっていった。

二年間の修士課程を終える頃、日本かアメリカで教育・研究職に就くことを志し、さらに博士課程に進学する決心をした。修士課程に入学した年の初夏、祖父ライルが八十五歳で鬼籍に入り、祖母セーラもその一年半後に八十六歳で他界した。

淋しくなった家でケビンもリサも、一人娘の外国滞在が延びるかも知れないことには、一層むなしさを募らせた。だが、ほぼ毎年夏休みや春休みを利用してサンタアナに帰省していたこともあり、ナオミの進路希望には、両親ともに理解を示し応援してくれた。

博士課程では、家族の系図を曾祖父母の清治と千鶴からたどりながら、自らの自己認識の揺らぎを検証する第三者的な分析を試みた。三年をかけて何とかまとめ上げた博士論文が合格し、今春博士号を取得した。

並行して、ナオミはいくつかの大学の公募に博士課程修了見込みの資格で応募した。そのうち唯一、峰坂市にある垂水県立大学グローバル文化学群助教職の書類審査を通過して、面接に臨んだ。

 

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