詩の説明

詩の理解の手助けのため、絵の説明のように、詩の完成に至るまでの動機を説明して、現に完成しているものに生命を与えることとしてはどうかとの、エッカーマンの提案に対して、

ゲーテ「いや、私はそうは思わないな。(中略)絵の場合とは話が別だよ。詩はね、同じ言葉というもので出来ている以上、また言葉を一つ付け足せば、他の言葉が死んでしまうのだ。」(上一〇〇頁)

『源氏物語』についてこれを考えてみる。

例えば、光源氏が次のように言う場面がある。

「かの大納言の御(み)むすめものしたまふと聞きたまへしは。すきずきしき方(かた)にはあらで、まめやかに聞こゆるなり」(源氏物語①二一二頁)(大納言には姫君がおられると聞いたことがありますが。浮いた心からではなく、まじめにお尋ねしております。)

普通、まじめな話をしているときに、わざわざ「浮いた心からではなく、自分はまじめである」と断ることは、ありそうにない。こういうのを、「語るに落ちた」と言うのだろう。

物語の上で、光源氏は、浮いた心から尋ねているのだが、ここで作者が顔を出して、「実は、光源氏は、浮いた心から尋ねているのです」などという説明を加えるのは、間が抜けているとしか言いようがない。

優れた文学作品は、過不足のない言葉で成り立っているのだから、別の言葉で補足説明することはあり得ないことだ。