何になりたいの ―「楽しい」父親像を―

「生まれてこなければよかった」の話の続きだが、「何になりたいの」と聞いて、すぐに 答えられる子どもは今どきよくいて10人に2人だ。「別に! 分からん! 考えたこともない!」という答えが返ってくるのが落ちだ。

この前ラジオで言っていた。世界の小学5年生に聞いた。北京、ソウル、サンパウロ、あとアメリカだったかドイツだったか、「あなたは将来成功しますか」という問いに他の国の子どもは、60~80%が「はい」と答えたのに、日本の子だけはわずか20%だった。

「いい親になれると思いますか」という問いに対しても全く同じ結果だったという。日本は、物質的にもうこれ以上幸せになれないくらい世の中が発達してしまったし、大人は頑張れ、勉強しろ、いい学校入れ、いい会社入れって、叱咤激励するけど、子どもはシラけている。

大人は、いい人生を送れるかもしれない手段を人生の目的と取り違えているんじゃないか、それを子どもは見すかしているのだ。本当の幸せとは大人の言う以外のところにあるような気がしているのだ。

こんな風に書くと、また理想論ぶって、青二才めが! 現実はそうはいかないんだよ、勉強させなきゃっていう人がいると思う。鉄は熱いうちに打てとか、アリとキリギリスの話なんかを持ち出してきて。

けれど限度というものがある。人生の準備期間にとことんいやな気分をたたき込まれて、もう自分にはさほど可能性がないなんて納得してしまう、そんな子どもはかわいそうだ。人生いやだ、面白くないと思いながら、これから何十年も過ごすかと思うと、あまりに気の毒だ。

つい数年前にドイツへ行ったら、子ども時代は遊ぶほどいい子なんだって聞いてびっくりした。親たちも仕事中はくどいほど理屈っぽいのに、午後4時にはさっさと会社を切り上げて、夏の長い夕暮れの中で、手作りで家を建てたりして一日の半分は趣味に没頭している。日本なら後ろ指だが、子どもはそれを見て育つから人生面白いと思うだろう。

今子どもの周りには楽しそうな大人がいない。苦虫かみつぶして目をつり上げた大人ばかりだ。せめて仕事をしているりりしい親の姿が目に入ればと思うが、だらしなく酔っぱらった親父しか見たことがないようではどうしようもない。

その意味では、学校のカリキュラムに働く現場訪問を組み入れる企画などはいい。地域のお祭りで大人と子どもが一緒になってドンドコやっているのを見るとほっとする。

 

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