ある日僕が給食当番をやっていたら、その日のパンの間に変なあま酸っぱいジャムがぬってあった。僕は給食が終わっても食べていたので、たった一日で給食当番をやめさせられた(くやしかった)。
この年のお遊ぎ会は、二日にわたって行われた。この一日目、自まんじゃないが、はじめのあいさつを行った。この時は先生が、マイクを持ってくれていた。
次の日のあいさつは、女の子で、自分でマイクを持ってしゃべっていた。そうしたら母が「そら見やぁ、あの子は自分でマイクを持って、言ったじゃないの」と頭からピシャリ。
ある日、僕と聡が父に連れられて、中学校へ野球の試合を見に行った。するとそこに大高郵便局の局長がいた。
局長は父に「おい」と言ってマージャンの手つきをして、「やらんか?」と聞いた。
父は「いや、今からぼうずたちを、名古屋祭り、見せに行かないかんで」と言って断った。名古屋祭りから帰ってきたら。そこに局長が待っていた。
父は子守りのつもりで、二人を連れて行った。そうしたら、僕たち二人は、きゃーきゃー、ワーワーとうるさかった。父も困ってしまって、局長に、「ご石をかしてやってくれ」とたのんだ。局長はご石をわたして、となりの部屋に入れた。
しばらくしてみると、ご石を部屋一面に広げて、遊んでいた。局長は「まぁいい、いい、さわがしいよりマシだ」と言ったそうだ。
そのころの僕たち二人は、いたずらがたえなかった。あんまりいたずらするので、ある日父が、僕たち二人をおし入れに閉じこめてしまった。
父が真けんなのかじょう談なのか、わからなかったので、僕たちは、はじめはびっくりしてしまった。しかし、しばらくして、父が開けようとしたら、僕たちが中で「へへへへへ」と笑っていたのでやめたそうだ。
二回目にもうこりたころだろうと思って、開けようとしたら、シーンと静まり返っていた。父は心配してがばっと開けたら、中から僕たちが「ばあー」と言った。父は、えらくおどろいていた。
父とマージャンの付き合いは長い。父は母と結婚したあと税務署をやめてふらふらしていた。母が美容院のめん状を取ったので安心したのだと僕は思っている。確認はしていないけれど、聞いてもそうとは言わないだろう。その時、かけマージャンだけで食っていた。食っていたと言っても祖母と母のかせぎはあるわけだから、うえる心配はなかったと思う。
その後、父の父(鈴田さん)と東新町でテレビはん売会社を始めるまで、そんな調子だったらしい。聞いてみると「まぁ、そんなところだ」というから、きっとそんなところだ。
そういう経いがあるので、父はマージャンを母に教え、母の姉妹に教え、自分の姉妹にも教えた。なぜ女ばかりに教えたかというと、男はどこかでマージャンを覚えるので、教えるために残っているのは、女ばかりだからである。
そういう理由ばかりでなく、推理すると、日中ヒマな父の相手をしてくれるのは、日中家にいる女たちだからだろう。
ただし僕たち兄弟は、マージャンを母から教わった。この話はのちほど。