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第1章    利用者さんとずっと一緒

誰にでもできる事ではない

入所時には全身がむくみ、肺に水がたまって、もうそんなに長くないだろうと医師は判断していました。

しかし、本人はまだまだ元気で長生きするつもりです。施設を病院と勘違いしており、施設の看護師に説教するのが唯一の楽しみです。施設の看護師達も要領を心得ており、逢坂さんの説教をハイハイと聞いていました。

大変なのは夜勤のヘルパーです。忙しい夜勤の時にもヘルパーに対して上から目線で、いつまでも説教するので、皆気分を害し、なるべく近寄らないようにしていました。

話し相手がいなくなると、夜中でも構わず、大声でヘルパーを呼び困らせます。夜勤のヘルパーは皆疲れ果て、ゆっくり休む時間もないほどです。

しかし尾松という女性のヘルパーが当直する日は、逢坂さんは騒がず機嫌よく寝ているようです。不思議に思った施設の看護師は、仕事で遅くなった帰りに逢坂さんの部屋に寄ってみました。

するとヘルパーの尾松が逢坂さんのベッドに入り込み、子供をあやすように添い寝をしていました。施設の看護師はその姿に感動を覚えたようです。

このような行為は誰にでもできる事ではなく、介護の基本から外れています。また正しいかどうかわかりません。しかし人の心はマニュアル通りにはいきません。マニュアル通りにしたからといって、介護されている人が幸せかどうかわかりません。

逢坂さんはその後腎不全が悪化し亡くなられました。きっと添い寝した尾松を母親のように思って、感謝して亡くなられたのではないかと思います。

ピンポーン

ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴りました。スタッフの松田が誰か来たと思って、玄関まで見に行きましたが、誰もいません。

「そういえば最近、誰もいないのに玄関のチャイムがよく鳴る、と大江が言っていたなあ」准看護師の上田も思い出したように、

「そうそう、私もチャイムが鳴って玄関と裏口を見に行ったけど、誰もいない時があったわ」チャイムは玄関と裏の勝手口に設置してありますが、勝手口は道路の反対側のため、人が訪れる事はほとんどありません。

この施設では、癌患者さんなどの看取りをする事がよくあり、施設で亡くなった人も何人かいます。

上田が、

「きっとここで亡くなった人が、チャイムを鳴らしているのよ」

「上田さん、やめてくださいよ。俺、明日夜勤なんだから」

「何を言っているの。幽霊なんていないわよ、いい加減にして。二人とも早く仕事に戻りなさい」

服部が二人を仕事に戻そうとした時、廊下に接するトイレから認知症の北野さんが出てきました。北野さんはいつものように自分の席に座り、皆と話し始めました。