ボストンからの手紙

槐は二〇一八年四月二一日に、ナバナさんの出版記念対談を新聞で知り、上智大学に出かけました。ナバナさんの「フェミニズムとは」の講義の声に、槐は実に四〇年ぶりに懐かしく聞き入りました。

対談など全てが終わり、演壇を参加者が取り囲む中、「病院の職場で一緒でした。久しぶりにお会いし懐かしいです。それに今日一緒に来ました同僚だったアマナさんの娘さんにお孫さんです」と挨拶しました。

しかしナバナさんは「一緒に働いた人……」と思い出そうとしていましたが「誰か分からない、ごめんなさい」と謝られました。思いもよらない事態に、槐は気落ちし動揺を隠せませんでした。

実は、槐が二〇歳から五年間勤めた病院で、四歳年上のナバナさんは、ソーシャルワーカーでした。背が高く白衣が似合い、まつ毛が長く、エキゾチックな目は、トレードマークでした。

院内の八重桜が咲く頃は、クシャミで大変でしたね。昼休みはナバナさんが、ギターやウクレレを弾き、仲間と合唱するような楽しい職場でした。

間もなくナバナさんは、カウンセリング(心理療法)を学ぶため、アメリカへ留学することになり、当時は院内でビッグニュースでした。槐は留学中のナバナさんに、興味津々で二年ほどせっせと手紙を出しました。

その中でも、槐が小学六年生の時に、クラス全員が足踏みして聴いた『ペルシャの市場』の、レコードをクリスマスプレゼントにし、ナバナさんからの返信をワクワクして待ちました。

ー「勇気が湧き、溢れる涙を拭い渇いた心を癒してくれました……卒業したら、アフリカにも行きたい……。未来を夢見ています。アメリカにいらっしゃい……今ボストンは冬……」-

便りから、ナバナさんは留学し大切な人との別れがあり、異国の孤独な学究生活に押しつぶされそうな日々、だが未来の希望を支えにしている心情が伝わってきました。

自らの道を切り開くナバナさんの想いに感動した槐でした。

この便りが槐の人生で大きな転機になりました。槐はソーシャルワーカーになる夢を抱いたのでした。

槐は何度もボストン・ロズリンデールからの手紙を読み返してきました……。

二〇二一年七月二七日

政治家ナデシコさん

「個人的なことは政治的なこと」

一九六〇年代のアメリカのフェミニストたちのスローガンを想い起こすと、今は亡き政治家の、ナデシコさんの姿が浮かんできます。

一九六七年に全国最年少の二六歳で町議会議員に首位当選した人です。槐と同じ精神科病院で働く、三つ上の看護師さんで、家も近所でした。

その年に東京都知事選があり、槐はナデシコさんから、○○○候補のビラ配りに誘われました。クックと笑いながら油揚げをかじり、食事をとる間も惜しんで、チラシの準備をするナデシコさんには、負けられないとお手伝いしました。

選挙応援したのはこの時だけで、間もなく槐は転職し、ナデシコさんとは年賀状と選挙の度に電話を受けるくらいでした。

 

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