自己は相対有限であり、そこに相対的な真実性はあるものの、絶対の真実性はないと言わざるを得ない。

実に当てにはならないものなのだ。

その一方では、豊かな創造性を生み出すはたらきが備わっている。

自己は自分で創り上げるだけではない。

賦与されるものでもあることを知れば、自己の真実性は究明されることがわかる。

それは根源的自己との対話である。

自己には絶対の真実性がないことの真実が究明されることによって、人間である生き方から人間であるべき生き方へと転換される。

それを被教育者から学ぶのだった。

第一節 自己とは何か

第一項 自己の所在

自己には所在が在るかのようでなく、ないかのようで在る。流動的で矛盾している。

自己とは何か? よくわからないというのが本当のところだ。

自己はこころのはたらきによって生ずる幻のようなものだとすれば所在はない。

こころのはたらきには、意識・活力・欲動などに加え、記憶・言語・計算などがある。

これらのはたらきが、統合されて自己として意識されるようになる。


(1) 阿満利麿 『日本人はなぜ無宗教なのか』 ちくま新書 一九九六

(2) 中村 元・他訳註 『浄土三部経』 (上)・(下) 第二六刷改訳 岩波文庫 一九九〇

(3) シャルル・リシェ〔石川湧訳〕 『人間論』 萬里閣 一九四六

 

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