【前回の記事を読む】五十歳で転機を迎えた理学療法士が見出した「真実に生きる」とは何か? 自己と人生の根本的問いと救いのかたち

はじめに

二つ目は、生命論の探求によって根源的生命観が問われたことである。生命科学の進歩によってヒトのゲノム解析が行われ、生命とは何か、ヒトとは何か、などの問いがなされている。

また生命体の基本でもある細胞の構造や機能が分子レベルまで解明され、生命のしくみやはたらきがもつ美しさや奥深さは、自然だけでは説明し難いものがある。生命の知的設計を含めて、もはや不思議としか言いようがない生命論の探求によって問われた。

そこでは、人間的なものを超越した世界。それこそが絶対無限とされるとんでもない世界であること。

極みなきいのちとひかりを被る道。絶対の真理への道。

その道を歩み出すことによって、真実に生きることの大切さが信知された。そして、被教育者に学ぶ絶対無限の真理こそが、我が人生の帰趨であることを教えられたのである。

「人生の究極的立脚点は、『有限』の世界に存在しているのではなく、『無限』の世界にしかないのである」

阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』(1)

第一章    自己の真実性

自己には真実はない、それが自己の真実性である。

自己とは脳によって生み出されるこころのはたらきを言う。

そのこころには実体はなく、自己は幻のようなものなのだ。

自己は環境によって揺れ動くため、相対有限と言わざるを得ない。

そこには絶対の真実性はない。

ギリシア思想に、「汝自身を知れ」と、問う有名な格言がある。

また、『無量寿経』(2)では、「汝自当知(なんじみずからまさに知るべし)」と説かれている。