スイスの一般的な夕食は、ワインにパンとチーズ、それに干し肉(Bündnerfleisch:ビュンドナーフライッシュ)やサラダといった、シンプルな食事が多いです。どちらかというとお昼の方がメインです。
チューリヒャー シュニッツェル(Züricher Schnitzel:チューリヒ風仔牛とマッシュルームのソース煮込み)やブラートヴルスト(Bratwurst:太いソーセージを焼いたもの)、レシュティ(Rösti:じゃがいもを細く刻んでフライパンで焼いたもの)、それから、チーズ料理のラクレット(Raclette:溶かしたチーズをじゃがいもやパンの上にのせた料理)やチーズフォンデュを食べます。
また、スイスはチーズとチョコレートの一人当たりの消費量が世界上位で、スーパーには国産だけでなく、輸入チーズや乳製品も含めて多彩な商品が揃っています。
2. なぜ、スイスに30年間住むようになったのか?
~私が体験した日常のスイス~
スイスにやって来た理由
私がスイスにやって来たのは、1989年、日本のバブル期が終焉を迎えつつある時代。ヨーロッパでは東西冷戦の終結とともに、11月9日にベルリンの壁が崩壊しました。これは、長らく分断されていた東ドイツと西ドイツが統一へと向かう象徴的な出来事でした。
昭和天皇が崩御されたのが、その年の1月7日なので、私は平成の時期を丸々海外で過ごしたことになります。
なぜスイスにやって来たかについて、手っ取り早くいえば、米国留学中に知り合ったボーイフレンドがいたからです。20代の私は、彼のアパートで1年間トライアルとして一緒に住み始め、翌年スイスで結婚しました。当時、まだインターネットが普及していない時代です。
私は米国留学後に入社した、東京の某大企業を辞め、スーツケースを引っ提げて、彼の住むスイスの旧市街にある、築340年の薄暗い、古めかしい石造りのアパートにやって来たのです。
当時、日本では男女雇用機会均等法という名ばかりの法案が実行され、一般職か総合職という選択を迫られたのを思い出します。
大学卒業後は、新卒である都内の企業に就職しましたが、何か違うと感じて、その後、フリーターになっていました。何をしたらいいか焦点が定まっていなかった20代の私は、アルバイト先の宝石会社で宝石鑑定士の方と出会いました。宝石鑑定士という資格が米国にあり、その資格を取得後、宝石鑑定士として仕事をされているのを知り、非常に興味を持ちました。
何としても若いうちに米国に行きたいという、それだけが20代の私の目の前にある大きな関心事だったのです。何か目標がないと遊んでしまうので、宝石鑑定士の仕事を知った時、そうだ、これだ! 私も宝石鑑定士の資格を取りに行こう!と思いました。はっきり言って、掲げる目的は何でもよかったのです。
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