支配者として欠点のない持統であったが、後ろ盾の父、夫を失った女性権力者が重大な国政を一人で動かすことは容易でない。後に天照大神と尊称される彼女には、切り札となる有能な側近が待機していた。
国策遂行の責任者に持統が抜擢した逸材が、天武朝では隠忍自重をかこっていた不比等であった。新時代を構築するに相応しい政治的カップリングが、この時誕生した。
永年、彼女は身近に父や夫の施政者としての姿を通して、人材の登用の目を養っていた。国策遂行に向けて幼時から目をかけていた、漢語に堪能で政治、法律に詳しい不比等以外、当該難局を打破する政治力を持った人材はいなかった。
主上に一番忠臣であるので、三顧の礼で迎える必要もない。不比等は20代後半の壮年期を迎えていた幸運にも恵まれた。この辺の事情は、第33代推古天皇が聖徳太子を摂政として政務を任せた状況に酷似していて、執政者としての両女帝の慧眼は甲乙つけがたい。
ここで持統と不比等の相関関係に触れる。持統の父、天智と不比等の父、鎌足は天皇家を滅亡させかねない蘇我一族を駆逐し、天皇親政を築いた最強の主人と臣下であった。しかし、この当時、天皇家と藤原家に血縁関係はなく、あくまで信頼し合う主従君臣の関係に過ぎない。
王家の姫は、忠臣鎌足の傍に侍る不比等より年長であり、将来天皇家が必要とする気鋭の凜々しい不比等に慈しみの情を抱き、成長を見守っていた。近親結婚が当たり前の時代、持統は父の弟、則ち叔父の大海人皇子と夫婦となる。
この後、千変万化の政局を潜り抜け、持統と不比等が国家の原型を紡ぐ主役へと変幻していく。
一方、不比等は幼少時から天皇家と父との因縁浅からぬ関係を目にして、君臣水魚の自分の立場を了知し、学問に励んだ。学び疲れて外を眺め、春の野に遊ぶ天女とも覚しき美姫の姿を見る度に、えもいわれぬ天皇家・藤原家の一蓮托生の予感に包摂されていた。
順風の二人の運命に激変が生じたのは、天智と鎌足が相次いで亡くなり、先述の壬申の乱が勃発した。持統27才、不比等14才の時であった。勝負は時の運とはいえ、夫婦共に戦った大海人側が勝利し、天武天皇として皇位を継ぎ、持統は立后し、夫を助け政権中枢に座した。
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