雑談のつもりで話したのだが、当の店主は目を輝かせて話に乗ってきた。店主は、

「その話、断らないで一週間ほど待ってくれ」

と言う。十日ほど待って、結局、その話はまとまらなかったのだが、そのあたりからボクらは親しくなった。

しばらくしてボクは長年その経営に携わっていた父の会社を辞めた。父の会社は畜産の機械設備の設計施工を生業としていたが、ボクにとっては大学を卒業してすぐに入社した会社で、仕事といえばそれしか知らなかった。

当時は養うべき家族も大学受験を控えた息子もいたから、それは勇気のいる、長年迷った末の決断だったが、退職したあとは時間に縛られることはなく、嫌な人間関係も、陰湿な派閥争いや足の引っ張り合いもないストレスフリーな生活が待っていた。

ボクは人生で初めて自力で呼吸していると感じていた。悩んだ末手に入れた自由は何ものにも代えがたく、何に代えても守るべきものではあったが、同時にそれは経済的困窮や生活の不安と背中合わせのものでもあった。

四十歳で無職、無収入となったボクは知り合いの編集者を頼って小説を書いたが、ライターとしての仕事は不安定で原稿料もたかが知れている。困窮したボクはかねてから考えていたビジネスモデルの実現に奔走した。

試し読み連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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