妻の笑顔

私は毎朝、18年前に妻と4泊5日の東北旅行した時の浅虫温泉旅館で撮った、妻の笑顔の写真を眺めている。余り写真を撮られるのを好まなかった彼女だが、この笑顔が私に生きる勇気を与えてくれる。

私は今日も1人で起き、歯を磨き、朝ご飯の用意をしている。

隣の部屋には利恵子が居なくなった空のベッドがある。闘病期間、約3年弱の後半4ヶ月間は殆どこのベッドに臥せっていた。

最初の1年間は抗がん剤でがんを抑えているので、何とか日常生活も出来、彼女自身はもう長くないと自覚していたので、2人で旅行にも出掛けた。

8月は能登半島、白浜、9月には鳥取にも行った。

しかし、1年を過ぎた頃から、薬の副作用で体重は落ち、体力は目に見えて衰えて来た。

利恵子はしかし苦痛を殆ど訴えない。

その分こちらでしっかりと観察する必要があった。

今迄家事は利恵子に任せっ放しだったが、必然的に私が家事をすることが多くなった。

起きて直ぐに部屋の右側にある利恵子のお骨が入っている仏壇の遺影に声を掛ける。

「お早う利恵子、今日も頑張って生きるわな」

仏壇に供えた花の水を換える。朝の般若心経を唱えて一日が始まる。

私が1人暮らしを余儀なくされたのは利恵子のがんが悪化し入院した、2024年7月22日からだ。利恵子は11月22日に亡くなり、今日で、まる1年が過ぎた。

夜は何とか眠っているが、夜中には少なくとも3度は目が覚める。嫌な夢を見るとその後は寝付けない。

目覚めた時に利恵子の姿、それも入院中に苦しんでいた姿が浮かんで来ると忽ち眠れなくなる。

そんな毎日が続いている。