しかし、ここで支障が起こる。選定した荷落(におろし)と呼ばれる土地は軍事上の防御性が高く、風水の見立てにおいても好適地であったものの、地盤が悪かった。大分川と住吉川(毘沙門川)に挟まれた湿地帯で、その軟弱地盤のために工事が難航して普請が滞ったのである。皆が頭を抱える中、誰が言い出したか、

「人柱を立てよ」

との声が挙がった。人柱により難工事が進展した先例があるという。当初はそれに取り合わなかった普請奉行も、一向に進まない工事の実態を目の当たりにして、周囲の説得に押されるまま半信半疑で人柱を募ることにした。

上原(うえのはる)の丘を南に下がった六坊(ろくぼう)という村の貧しい家に、おみわという名の十八になる娘がいた。おみわは家族の窮状を救うため、一時金と遺族の生活保障の約束を引き換えに人柱になることを承諾した。

慶長二年(一五九七)三月十八日、領内全僧侶の読経の中、おみわは弁才天の像を抱いて静かに入水(じゅすい)した。

「と、伝わります」

おもむろに顔を上げた住持が雄之助と目を合わせた。

「祠(ほこら)のある、あの辺りでござるか」

「さようでございます」

雄之助は俯(うつむ)きながら、

「して、普請の方は……」

 

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