知には、時代に沿うた流れがある。その時々で参照すべき先達の叡知は、変わるんよ。そこを読まんと、盛者必衰。おごれるもの、久しからず。

「それとな。ケインズとハイエクには、もうひとつ、こころを同じくする前提があると思うねん」

——道徳というか、モラルというか。ケインズは、ホモ・エコノミクスが道徳的価値観を踏み外すなら、政策で防衛できる場面もあると考えた気がするんやわ。ハイエクは、自由放任主義のように見なされとるが、銀行の活動には規制をかけるべきだとも言うてんねん。道徳的価値観や習慣も含めた法のもとで、フェアにやってこその自由主義やとね。

「これまでは経済合理性がビジネスの道理やった。世界がサステナビリティを言いはじめた時点で、経済合理性は経済道徳性に書き換えられるべきやないかね。つまりは人間の、同胞と生存圏に対する、質的な慈しみや……な、サイジョウさん」

「先生。わたくし、耳の痛いかぎりです」

Keiさんが訊く。

「オッチャンさん。市場原理主義や株主資本主義をケインズ側……それよりさらに社会民主主義やマルクス主義方面にでもシフトすると、世の中はもっと、生きやすくなりますか?」

「ワイは……ならんと思う」オッチャンが、あっさりと否定する。

「残念ながら、社会や組織集団のシステムに起因する生きづらさは、永遠に解消せえへんと思う」

さっきワイは言うたで。批判しとるのはMBAやない。資本主義でも自由主義でも社会主義でもないのや。集団になれば一部に必ず現れる、妙なエリート主義が問題やと。