【前回記事を読む】暴走する経済が搾取するのは地球資源だけではなく、人間性そのもの。組織構造におけるビューロクラシーが人間を隷属させ…

第三章 さようなら、ホモ・エコノミクス

「ネイビー、もう一杯注いでくれ」ゾーンに入ったらしいオッチャンが、息を継いだ。

金融ファンドの最上さんが、真剣な表情で聴いている。組織だけじゃない。ぼくは金融システムに隷属して、自分の人間らしさを搾取されていた。前だけ向いて、足元を見ずに走っていた。

「ワイから言わせてもらえば、東と西、北と南で対立しようと、右と左が闘争しようと、宗教同士が憎み合うたところで、虚しいもんや。あらゆる陣営がビューロクラシーとコンフォーミティに侵されてるやん。

リーダーが言葉でええことを言うても、管理中枢が官僚主義的計画経済のような態度を取りだせば、どんなこころざしを以てしても、実態は人間を疎かにしはじめる。それが人間の性や。そしていま、効率を管理するセクターの権威意識が、強くなり過ぎなんや」

根気よくスマホにメモするクマくんの頭の中で、言葉がつながった。

「ホモ・エコノミクスのTOP GUNごっこか」

シュウトくんならではの解釈が寄ってくる。

「オッチャンさん、ネット上で、特にDAO(分散型自律組織)*1を提唱するひとたちが、60年代のヒッピー・カルチャーに関心を持つのは、そういうギスギスした仕組みへの反発なんでしょうか?」

「……かもしれん。ガチガチの反体制運動というより、ピースフルな連帯への憧憬もあるやろな。せやけど、ヒッピーだろうが明るい農村だろうが、集団やネットワークには、いずれ管理支配が頭をもたげる。なんせ人間がそれを好きなんやから。敵は、陣中で育まれる」

ネイビーが指先でショットグラスを回しながら、元同僚の即席セミナーを聴いている。

――たしかに、好きなのかもな。ホモ・サピエンスはネアンデルタール人より弱かった。それでも生き残れたのは、集団で助け合いながら活動したからだといわれている。我々は組織に依存する。依存すればするほど、孤立を感じないで済む。リスクも回避できる。

分業が生まれ、階層が生じ、いつの間にか、その組織の中央集権的な上意下達が、世界の常識だと思いはじめる。人間の内には、自由でいることの不安から逃走する習性があるのだ。それが、ビューロクラシーやコンフォーミティの起源だろう。