どちらかというとそれまで、地味で堅実なイメージの強かった渋沢製薬は、その企業規模以上に茶の間の有名企業となり、ここ数年は売上げも低迷し、昨年からはリストラが行われていた。
相変わらず哲也と目を合わせないまま、奥貫は一気に喋った。
「それに、知っての通り塚田グループの認知症治療薬『アルツカット』のフェーズⅣ試験も終了し論文化された。非常に良い成績だ。すでに製造承認申請も済んでいる。早ければ今年中に発売できることになる」
(そういうことか……勝負ありってことか)
哲也はそう思い、肩を落とした。
塚田耕治は、奥貫と同じ大学の薬学部出身で、哲也とは同期入社だ。哲也は肝臓病薬開発グループ、塚田は認知症治療薬開発グループで研究開発を競い合っていた。
一九八三年、「子供の軽度精神発育遅滞に伴う意欲低下」などに効能を持つ医療用医薬品のホパンテン酸カルシウムに「脳梗塞後遺症、脳出血後遺症、脳動脈硬化症に伴う意欲低下、情緒障害の改善」という効能が追加され、日本初の認知症治療薬となった。
その後、一九八六年から一九八八年にかけてホパンテン酸カルシウムと効果を比較する臨床試験により、ホパンテン酸と同等の有効性が認められた多くの認知症治療薬が次々に承認された。
イデベノン、塩酸インデロキサジン、塩酸ビフェメラン、プロペントフィリンなどが認知症治療薬として薬価収載され、この頃(一九九四年)、認知症治療薬の販売競争は熾烈を極めていた。