大勢の中の一人

昭和二十五年は敗戦の傷も生々しい日本にとって大きく様変わりした年ではなかっただろうか。配給制度がなくなったし、ラジオからは尋ね人の時間が消えた。ほとんどの兵士が復員し、経済的にも成長を遂げたのだろう。

丸山家にもめでたいことが続いた。この年の二月には長太郎に内孫ができた。一昨年嫁を迎えた学に女の子ができたのだ。さらに後を追うように法子に男の子が生まれた。子宝に恵まれなかった法子が願掛けまでして授かったのだから喜びもひとしおは元より、長太郎夫婦にしても肩の荷が下りたことは否めないだろう。

学の子は富子と名付けられ、法子の子は一郎と名付けられた。嫁の智子は学と同じ郵便局に勤めている。イチノは「もらい乳」をするため、富子を背負い法子の家に通うのが日課となった。この時代、もらい乳は女性同士の助け合いであり、めずらしいことではなかった。長男の学夫婦に経済的に寄りかからなければならなくなったイチノには、やり甲斐のある役目だった。

そのかいあって二人ともすくすくと成長した。

秋も深まり長太郎には嬉しい訪問者があった、十数年来会わなかった弟の勢三郎が大阪から訪ねて来た。

彼の喜びは大変なものだった。嘉子夫婦にも呼び出しがかかった。嘉子も叔父に会うのは子供のころ以来だ。長太郎の身内が全員集まるとかなりの人数になる。だが彼はこうしてみなが集まることにこよなく喜びを覚えるのだった。

「兄さん達者で何よりやなあ」

「ワレは、よう来てくれたねえ。おら孫が三人できたがや」

「兄さんも苦労した甲斐があったなあ。学も立派になったねえ。それに可愛い嫁さんももろうてよかったがや。法子にもよい子が授かってよかったねえ。」

伊予弁丸だしの二人の話が弾んでいる所に嘉子たち親子がやって来た。