悲しみの一幕は閉じた
珠輝が部屋の中を這うようになると、嘉子は珠輝を危なくないように、ある程度動けるよう紐を長くして柱に縛り、水汲みや洗濯に出かけた。それでも時には実馬が珠輝の子守をしてくれることもあった。
誕生日を過ぎた珠輝に熟した無花果(いちじく)をもいでは食べさせてくれることも度々あった。そうこうするうち珠輝の眼球も成長し入院の日取りも決まった。
若い中井医師の張り切る様子は凄まじかった。ところが入院前日に破傷風菌に犯された珠輝は高熱を発し、折角成長してきた眼球は自ら腐れ落ちてしまった。中井医師の落胆ぶりは気の毒なものだった。
これで珠輝の失明は決定したのだ。そんなおり、嘉子は次の子を宿していた。その事は既に実馬も知っていた。彼は二人を呼んで、
「お前たちこれから珠輝に手が要ることになるだろうから、次の子は下ろした方がよい。今度は俺の言うことを聞いた方がよいのではないか。」
実馬にそう言われると二人は従わざるを得なかった。胎児を取り出すには月日がたちすぎていたが、二人の事情を考慮した医師は手術に踏み切った。嘉子の苦痛は大変なものだった。
取り出された胎児は既に形が整っており、しかも男の子でその子は立派な目を持っていた。
この時ばかりは重正は嘉子のベッドにもぐり号泣した。この時以来彼は珠輝に対する感情の変化が起きたのではないだろうか。年が明け昭和二十四年となった。
この年、実馬の二人の息子は大学の受験を控えていた。洪は昨年珠輝の泣き声が五月蠅(うるさ)いと怒鳴り嘉子を困らせたくせに国立大を受けて見事失敗し、今年は末弟の新と二人での受験だった。
このような状況の中、実馬が倒れた。実馬は肝臓癌に犯され、余命数カ月という診断を受け即入院となった。実馬という人は偏屈者であっただけに芯は強く、そんな診断を下されても取り乱すことがなかった。
だが彼とて並みの人間だ。病室で聖書を読み牧師の話を聴き、遂に洗礼を受けた。さらに息子たちへの英語指導も怠らなかった。