本性を表した実馬

それから間もなく重正は以前勤めていたM炭鉱に戻り鉱内夫として働き始めた。戦前から勤めていたため特例として勤務が延長されたようだ。そうなると祝言もすぐだった。

昭和二十一年七月三十日、二人は式を挙げた。この日は法子夫婦と同じ日で、姉夫婦のように仲睦まじくいくようにとの長太郎の考えだったという。

重正二十五歳、嘉子は二十三歳だった。

まあ何とかなるだろうと、ややのんきに構えていた嘉子だったが、いざ嫁いでみると毎日目の回るような忙しさだった。職業婦人でならした嘉子は台所に立つことがほとんどなかったから、その仕事から覚えなければならなかった。

最初はなんといってもご飯の炊き方だ。当時の主婦にとってこれが最も難しく、これさえ身に付ければあとは何とかなろうというものだ。そんな嘉子の助け人が新だった。

彼は母亡き後、その悲しみを癒やす手段として家の台所を担当することにした。彼はよく母のやっていることを見ながら結構手伝ってきたので、それほど苦労しなくてよかった。

既に彼は台所に立って半年以上過ぎていたので嘉子には実に親切な指導者だった。おかげで彼女も何とか主婦としての仲間入りができた。

やがて嘉子は身ごもった。この情報はたちまち丸山家と大下家に伝わった。これを誰より喜んだのが何と言っても長太郎だった。彼は初孫を見ることが心底嬉しかったのだ。

ところが大下家は違った。法子と繁好二人の間に沈黙が流れていた。二人とも黙っている。何ともしがたい沈黙の時間。やがて繁好が口を切った。

「嘉子さんにとうとう子供ができたらしいな。」

「そうたい、うちもびっくりしたとよ。」

「嘉子さん産むやろうからなあ。元気な子ができるとよいが、障害児ができたらあの人たちだけの事では済まんことになるとやけどなあ。」