第二章 研究のはじまり

一、縄文遺跡内に育つ

民俗学者の柳田国男はその著作『垣内の話』の冒頭で、「垣内(カイト)は思いのほかこみ入った問題であった。最初から、もしこれがわかっていたら、あるいはまだしばらくは手を着けずにいたかもしれない」という言葉で書き始めています。

カイトは柳田国男のファンクラブとも言うべき全国組織「民間伝承の会」で取り組んだ共同研究であったらしいのですが、その後の成果報告は目にしていません。

柳田国男本人も自信を持って臨んだと思えるのですが、カイトは彼をもってしても手強かったのでしょうか。このようにこの本の題名の通り大きな謎を秘めた地名の一つなのです。

カイト地名についてはもう二〇年以上前から気にかかり、資料を収集していましたが、長い間全く取り付く島もありませんでした。私は偶然、郡上市のカイト地名と縄文遺跡の分布がほぼ重なっていることを目にして、この二つのキーワードをもとに調査研究を進めています。

最初は縄文時代の地名かと色めき立ちましたが、調査を進める過程でそうではないことに気が付きました。カイト発祥の折にカイト適用に合致する集落がたまたま縄文遺跡周辺に多かったということではないかと思います。

もしそうだとしてもそれはそれで素晴らしい発見だと考えました。縄文遺跡のある場所に農業をしない非農耕民が居住していたということになります。その集落は縄文時代から継続して集落が営まれていたと考えられるからです。

しかし奈良県の例のように、一筋縄で行かないことはすぐわかりましたが、ここまで来て諦めるわけには行きません。途方も無い数の小字地名の中からカイト地名を拾い上げ、地図上の場所を特定し、奈良文化財研究所の『遺跡データベース』と突合していかねばなりませんでした。